長宮氷川神社

ふじみ野市長宮2-2-4(平成21年6月13日)

東経139度31分50.9秒、北緯35度52分23.71秒に鎮座。

 この神社は福岡小学校の北約150mに鎮座しています。市街地の中にある神社ですが、市の総鎮守と云われるだけあり、社地や社殿等は末社に至るまで整然と整えられています。参道には御祭神・須佐之男命縁の「出会いの泉」という斬新な手水鉢が造られ、開放的な感じの境内にはベンチも置かれ、お年寄りが休んでおられました。私が興味深く拝見したのは神輿舎内の「暴れ神輿」で、流石に私は闇市の記憶はありませんが、改めて父母の苦労が偲ばれました。

 御祭神:須佐之男命、櫛稲田姫命、大己貴命
 祭礼日:1月1日・元朝祭、2月3日・節分祭、4月3日・祈年祭、7月14日・天王祭、7月31日・夏越大祓、10月1日・例大祭、11月23日・新穀感謝祭 、12月31日・除夜祭
 境内社:八雲神社、日ノ宮神社、愛宕神社、天神社、八幡神社、稲荷神社、疱瘡神社
 由緒:「長宮氷川神社縁起書」によれば、平安時代中期、第六十六代一条天皇の御宇、長徳元年(995)に北面武士・星野信秀が、、出雲の国・簸ノ河上にある杵築大社(現・出雲大社)より御神霊をこの地に勧請し、祀った事が始まりとされます。
 「長宮」の名の元になった戸伝わる参道は、その昔には四町十六間(約465m)の長きに及んだことに始まり、参道両側には人家が密集して門前町が形成され「長宮千軒町」と称し、大いに繁盛したと伝えられています。
 小田原北条、徳川時代には歴代の城主・地頭よりの崇敬も篤く、数多くの奉納もありました。今もこれらの奉納品を見ることが出来、そのひとつで拝殿に飾られている「向い天狗」の絵馬は、およそ250年前のもので、木製絵馬としては県内最古です。
 社殿の造営は、天正19年(1591)にあったと伝えられ、その後江戸時代を通じて再建・修復が行われました。
 明治5年に村社となりましたが、社殿の荒廃が目立ち、明治26年同27年に現在の社殿が再建されました。又、明治40年代の神社合祀で、日ノ宮神社、愛宕神社、天神社等が境内に移されました。
 平成7年10月には、御鎮座一千年祭が斎行されました。
「長宮氷川神社」由緒書きはこちらで

「長宮氷川神社」公式サイトはこちら

社頭
社号標 入口の靖国鳥居
参道の様子

手水石・出会いの泉
境内の様子
拝殿
覆い屋と流造りの本殿
境内社:八雲神社 境内社:日ノ宮神社、
愛宕神社、諏訪神社
境内社:八幡神社 境内社:稲荷神社、疱瘡神社
境内社:天神社
力石 神楽殿
神輿舎
神輿舎内の「暴れ神輿」