秩父市三峰298-1 (平成28年4月22日)
東経138度56分00.81秒、北緯35度55分19.96秒に鎮座。
この神社は、秩父湖の南東2km程の辺り、天空のパワースポットと言われるほどの有名神社でもあり、我々が改めて紹介しなくても・・・と思っておりました。しかしながら、各地の三峰神社も結構掲載されてきたので、やはり本社が無いと格好が付かないと思い、我が愚妻共々、奥社も含め参拝させて頂きました。
御祭神 伊弉諾尊・伊弉冊尊
配祀神 造化三神(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)・天照大神
三峯神社御由緒
当社は今から1900年余の昔、日本武尊が東国の平安を祈り、伊弉諾尊・伊弉冊尊、二神をお祀りしたのが始まりです。尊の道案内をした山犬(狼)が、お使いの神です。三峯の名は神社の東南にそびえる雲取、白岩、妙法の三山が美しく連なることから、三峯宮と称されたことに因ります。
奈良時代、修験道の開祖役小角が登山修行したと伝え、天平八年国々に疫病が流行した折、聖武天皇は当社に葛城連好久を使わして祈願され、大明神の神号を奉られました。
平安時代には僧空海が登山、三峯宮の傍らに十一面観音像を奉祀して天下泰平を祈り、以来僧侶の奉仕するところとなりました。鎌倉時代、畠山重忠が祈願成就の御礼として十里四方の土地を寄進しました。また戦国時代には月観道満が諸国を勧進して天文二年に社殿を再建し、中興の祖と仰がれています。
江戸時代、関東郡代伊奈半十郎検地の折、三里四方を境内地として除地され、寛文元年現在の本殿が造営されました。
享保年間には日光法印が社頭の復興に尽し、御眷属信仰を広めて繁栄の基礎を固めました。寛政四年に随身門(仁王門)、同十二年には拝殿が建立され、幕末まで聖護院天台派修験、関東の総本山として重きをなし、幕府から十万石の格式をもって遇されました。
明治維新の神仏分離により社僧を罷め仏寺を閉じ神社のみとなりました。明治六年郷社、同十六年県社に列せられ、戦後官制廃止により宗教法人三峯神社として現在に至っています。
境内由緒書き より
歴史
社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える。伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。
三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を「雲取山」と呼んでいる。
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。養和元年(1182年)に、秩父を治めていた畠山重忠が願文を収めたところ霊験があったとして、建久6年(1195年)に東は薄郷(現・小鹿野町両神あたり)から西は甲斐と隔てる山までの土地を寄進して守護不入の地として以来、東国武士の信仰を集めて大いに栄えた。しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退した。
文亀年間(1501年-1504年)に修験者の月観道満がこの廃寺を知り、30数年勧説を続けて天文2年(1533年)に堂舍を再興させ、山主の龍栄が京都の聖護院に窮状を訴えて「大権現」を賜った。以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、「三峯大権現」と呼ばれた。以来、歴代の山主は花山院家の養子となり、寺の僧正になるのを常例としたため、花山院家の紋所の「菖蒲菱(あやめびし)を寺の定紋とした。
江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された。
伊奈忠福(伊奈氏はもともと関東郡代の一族だったが家督争いから一旦名跡取り上げとなり、その後秩父郡の小普請となった)の代に、土地山林を寺に寄進し、広く村人に信仰を勧め栄えたが、明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」に改称した。明治16年(1883年)に近代社格制度において県社に列した。明治中期には、社務所に600人が泊まれる施設があり、客のための料理や酒も自家製で賄っていたという。大正末期に秩父宮が参拝したことをきっかけに信徒が全国的に増え、講社数が増大した。
ウィキペディア より
参道入口と三ツ鳥居
日本武尊の道案内を務めたと云われる、守護神の狼。拡大写真はこちら。 | |
(昭和45年(1970)5月吉日建立) |
神額
参道
参道は左へ一端下ります。
社号標と随身門
随身門前の狼。拡大写真はこちら。 | |
(大正11年(1922)6月吉日建立) |
神額
参拝順路は左手となります。
参道途中の狼。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
石段
ブロンズの狼。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
鳥居
神額
手水舎
八棟(やつむね)灯篭 安政四年(1857)建立
石段
狐顔の優雅な狼。拡大写真はこちら。 | |
(文化7年(1810)庚午建立) |
拝殿
神額
向拝中央の彫刻
左
右
左右の脇障子 | |
虹梁彫刻
その他彫刻
本殿
本殿縁側にお住いの狼。素晴らしい出来映えとお見受け致します。 | |
御神木
えんむすびの木
遥拝殿
結構古そうに見えます。吽の耳欠けが残念。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
奥宮
神楽殿