吉浦神社

嬉野市塩田町五町田甲4003(平成23年11月4日)

東経130度3分37.23秒、北緯33度6分59.29秒に鎮座。

 この神社は塩田川のすぐ南に参道の入口があり、大きな常夜灯と一の鳥居が建立されています。そこから参道は約460m程真っ直ぐに南に続いています。その間、塩田町最古の石橋であり、嬉野市指定文化財の石造眼鏡橋が参道に架かり、二の鳥居から先には灯籠が建ち並び、桜並木が続く様は、春の清々しい様子を想像させてくれます。
 クリーク(用水路)に架かる桁式の石造太鼓橋を渡り、御堂を左に見て三の鳥居を潜ると、石段の参道が楼門まで続き、途中右には幼児体型の可愛い狛犬が護る祖霊社が祀られていました。
 四の鳥居を潜ると参道は一旦平坦になり、次の石段を上がると、美形の狛犬が護る重厚な楼門に行き着きます。楼門の先にも石段が続き、三対の狛犬が護る大きな拝殿、その奥の石垣の上に黒と朱の漆塗で荘厳且つ華麗に彩られた本殿が建立されています。
 神社東には、平安朝を代表する歌人・和泉式部が幼少期をすごしたという伝説に因んで造られた和泉式部公園が整備され、式部の像や歌碑が置かれています。
 旧藩主の祀り方は千差万別、雑草が茫々と生え墓石が倒れている所や、荘厳な社殿が建立され綺麗に護られているところ等沢山見てきましたが、多分鍋島蓮池藩の藩主は代々善政を敷いてきたのでしょう、とても崇敬心の伝わる神社でした。

 御祭神:旧鍋島蓮池藩祖 鍋島甲斐守直澄公
 祭礼日:例大祭・4月5日
 境内社:祖霊社、安全大明神、文彦社、稲荷大明神、風神
 由緒:鍋島甲斐守直澄公は佐賀藩主鍋島勝茂公の三男にして元和元年(1615)11月12日佐賀城にて誕生され、幼名を千熊丸と言う。
 生来英邁深慮にして、武勇にすぐれ、寛永12年直澄公21歳のとき江戸に参勤し、従五位下に除せられ任ぜられ寛永14年(1637)島原の乱が起こると出陣し、これを、鎮定され寛永16年(1639)直澄公25歳のとき、父勝茂公より佐賀、神崎、西松浦、藤津の各地より三万五千六百二十五石を分かち与えられ 後に一万七千石を増し蓮池に封じ諸侯に列せられた。
 公は宗藩の制度にならい制度を整え藩政をよく治め善政を行い、水路、堤を築いて農業を盛んにし、学問、産業の振興につとめ、窯業、酒造業などを盛んにするなど領民のために献身され領民から深く慕われた。
 寛文5年(1665)吉浦に別館を設け、剃髪して、義峰と称して老後を送られた。直澄公55歳のとき病にたおれ、寛文9年(1669)3月5日、吉浦の館で逝去された。
 直澄公の遺骸は吉浦で荼毘に伏し、吉浦至誠山(現吉浦神社)に葬った。
   正献院殿義峰宗眼と謚した。
 延宝8年(1680)庚申、至誠山、秀天霊社と称した。
 文政元年(1818)150年祭が斎行され、大明神の称号を受け 以後 吉浦大明神と称し 崇拝された。
 明治初年吉浦神社と称し明治12年には郷社に列せられた。
 現在五町田の氏神であり、学業、商業、産業の守り神として塩田町はじめ県内外より崇敬され参拝者が多い。

塩田川沿いにある参道入口
参道入口に立つ一の台輪鳥居
大きな常夜灯と参道
至誠山が見渡せる参道の様子

嬉野市指定文化財・吉浦神社参道に架かる石造眼鏡橋
参道の様子
参道途中に立つ二の鳥居
手前の灯籠上では猿が見張り番をしています。
鳥居に掛かる額
灯籠が建ち並ぶ参道
参道途中にある猿が遊ぶ幟旗立
社頭
石段参道手前、クリーク(用水路)に架かる桁式の石造太鼓橋
御堂
石段参道手前に立つ三の鳥居 鳥居に掛かる額
石段参道
石段参道途中の右側に祀られる祖霊社境内
祖霊社 鳥居と額
祖霊社境内にいる狛犬と石碑
祖霊社を護る昭和10年生まれの狛犬
三頭身、幼児体型の可愛い狛犬です。
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(昭和10年(1935)10月15日建立)
石段の参道
石段上、平坦になった参道に立つ四の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「吉浦大明神」
二手に分かれる参道
楼門へと続く石段の参道
楼門前の参道の様子
楼門前、建立年代不明の狛犬
塩田型の狛犬で、整った顔つきと線刻がはっきりとした長めの毛足の鬣が美しく、前脚を真っ直ぐに踏みしめ、背筋をピンと伸ばした姿に気品が感じられます。阿は口中に玉を含み、吽の顎髭に架かった鋸歯や牙がご愛敬。爪の先まで丁寧に彫られた、石工さんの感性と技量が充分生かされた作品です。
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楼門
楼門内から見る参道と境内の様子
石段下にいる昭和11年生まれの狛犬
やはり塩田型の狛犬で、昭和期の狛犬に良く見られる、彫りの堅さや稚拙さが感じられない、出来の良い狛犬です。眼光鋭く、ライオンのような鬣、大きく渦を巻き立ち上がった尾、柔らかな肢体等が特徴でしょうか。
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(昭和11年(1936)4月5日建立)
石段参道途中にいる大正7年生まれの麒麟
阿には角があり、全身が鱗で覆われ、蹄があります。胸毛や脇毛が丁寧に刻まれ火炎のように燃え立ち、特に脇毛は大きく羽のように創られ、天馬かと見紛うほどです。漲る力が感じ取れる、優れた作品です。
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(大正7年(1918)4月建立)
拝殿前、昭和36年生まれの狛犬
先代さんは慶応4年建立のブロンズと思われますが、「大東亜戦争に応集受け…」熔かされてしまったようで、昭和36年に石像狛犬として再建立されたようです。大きく重量感に溢れた狛犬です。
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(狛犬・昭和36年(1961)4月吉日建立 台座・慶応4年(1868)戊辰3月5日建立)
拝殿
拝殿向拝の鬼瓦と彫刻
拝殿向拝下彫刻・龍
拝殿目貫下彫刻
黒と朱の漆塗で荘厳且つ華麗に彩られた本殿
手水舎 石碑
境内社
安全大明神 風神
稲荷大明神 稲荷大明神
境内社:文彦社
御堂 宝物庫?
神牛 御神馬
拝殿前から楼門を望む

神社東に、平安朝を代表する歌人・和泉式部が幼少期をすごしたという伝説に因んで造られた和泉式部公園がありました。
和泉式部象
和泉式部歌碑
和泉式部歌碑 和泉式部歌碑