永世神社

鳥栖市永吉町452-10(平成23年8月5日)

東経130度32分12.33秒、北緯33度23分46.5秒に鎮座。

 この神社は弥生が丘駅の南東約600mに鎮座しています。
 社地は金網のフェンスに囲まれ、道路に面した中央辺りに明神鳥居が立っています。境内は明るく広く、右側に社務所などが配されており、正面に二の鳥居と手水舎。石段を上がると二対の筑後型が護る、入母屋造りの拝殿と、流造の本殿が建立されています。又、末社も二社祀られています。

 御祭神:住吉大神、八幡大神、地主神
 祭礼日:お粥祭り・3月15日、夏越祭・8月1日、放生会・9月15日、宮座祭・10月14日
 境内社:稲荷社他
 由緒:肥前風土記によると、景行天皇が高良の行宮からお帰りの途中、酒殿泉のほとりで食事をされた時お召しの御鎧が平常とちがって光り輝いているので、占なわせたところ、この土地の神々が、天皇の御鎧をほしがっているとのことであった。
 天皇は「そうであったのか、では、永世の宝とせよ。」と仰せられ御鎧を奉納せられた。それで永世神社ととなえ、この辺を永吉の里といった。その鎧の貫緒はほとんどみだれ落ちたが、鎧や兜の板は今も残っていると記されている。
 後1083年頃になって住吉大神、八幡大神の分霊を祀り今までの祭神を地主神となし八幡宮と唱えた。
 このように奈良時代以前からの売る意由緒深い神社であるが1580年頃、勝尾城が落城し筑紫氏がほろびた時、兵火にあい神宝古文書は悉く焼失した。今残っているのは八幡宮縁起掛図三巻と八幡縁起三巻で神宝といえる。

社頭
入口に立つ一の明神鳥居
鳥居に掛かる額 社号標
境内の様子
二の明神鳥居
上の境内入口
上の境内入口にいる天保9年生まれの狛犬
筑後型で阿は垂耳、吽は立耳。特に鋭く深い彫りで、堂々とした体躯に力が満ちあふれている感じがします。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保9年(1838)戊戌9月吉日建立)
拝殿脇にいる天保9年生まれの狛犬
これも筑後型で阿は垂耳、吽は立耳で、始めて見ましたが右前足の下に玉か台のような物を踏みしめています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保9年(1838)戊戌4月吉日建立)
拝殿
拝殿向拝下彫刻
木鼻・狛犬
拝殿内の様子
本殿
末社 稲荷社
鎮守の杜