姫古曽神社

鳥栖市姫方町189(平成23年8月5日)

東経130度32分8.13秒、北緯33度22分56.53秒に鎮座。

 この神社は田代駅の東北東約800mに鎮座しています。
 石段を上がり一の鳥居を潜ると大きな藤棚の下を参道が通り、その下に二の鳥居が建立されています。境内へは又その後石段を上がりますが、鬱蒼とした木々の中、閑かな境内には箒目が付けられ、姫神の神社に相応しくとても綺麗にされていました。境内右には神楽殿と土俵も配されています。
 千鳥破風付き入母屋造りの拝殿は横に広く、内部まで綺麗に拭き清められています。本殿は大きな春日造りの社殿です。
 この社は明治期に、織女神(七夕神)を市杵島姫命として主神に復座させた、珍しい神社です。

 御祭神:市杵島姫命、八幡大神、住吉大神、高良大神、管原道真
 祭礼日:七夕際・8月7日、放生会祭・9月15日
 由緒:当社の原初祭神は、織女神(たなばた姫)であった。このいわれは「肥前国風土記」姫神郷の段に詳しい。
 時移りて弘仁2年(811)時の村長某が豊前国宇佐八幡宮の分霊をここ姫方の地に勧請、先ず徳丸というところに行宮を建てて祀り、のち現霊地に社殿を建立して奉還、住吉大神、高良大神を合祀して八幡宮と称し姫方村の氏神とした。神課11人で宮座をつとめ、かつては、9月15日の大祭には重田の仮宮まで御神幸が行われていたが、いつの頃にか絶え、祭典のみが執り行われてきた。
 社殿などの建立は、寛文11年(1671)宝殿一宇再建、延宝8年(1680)宝殿一宇再建、天命8年(1788)鳥居一基建立、文化7年(1810)社壇(天満宮)、拝殿建立が、伝来の古記録によって知ることができる。
 この八幡宮勧請以後、本来の主神である織女神は疎外されていたが、明治の御一新に当たり村人は相はかって近くの「たなばた屋敷」におわした織女神を市杵島姫命の神名をもって主神の座に復し奉り、社名を姫古曽神社と改めた。以後、たなばた祭が執り行われるに至った。

社頭
神社入り口
入口に立つ一の鳥居 鳥居に掛かる額
参道の藤棚の下に立つ二の鳥居
石段参道
境内入口
境内の様子
拝殿前、嘉永7年生まれの狛犬
筋肉質で逞しい身体、彫りの深い鬣の表現、前足を少しずらした立ち方、尾が扇状等、典型的な筑後型狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(嘉永7年(1854)甲寅8月吉辰日建立)
拝殿
拝殿目貫彫刻・龍
木鼻・狛犬
拝殿内の様子
本殿
神楽殿 土俵
ご神木