八幡神社

鳥栖市村田町749(平成23年8月5日)

東経130度29分9.18秒、北緯33度21分14.34秒に鎮座。

 この神社は34号線・鳥栖市村田町信号から北に入ると約70m程の所に市指定重要文化財の肥前鳥居が立っており、更に80m程の参道と石段を上がると境内に行き着きます。緑に囲まれた境内は地面に箒目が付いており、寛政7年生まれの狛犬が護る入母屋造りの拝殿に繋げる形で、流造の本殿が建立されています。拝殿天井には天井画が描かれ、この社の歴史の永さと惣社としての由緒を感じさせます。又、境内には末社や石碑が点在しています。

 御祭神:玉依姫命、応神天皇、筒男命、菅原道真、保食神、豊玉彦命
 祭礼日:祈年祭・2月28日、例祭・4月3日、新嘗祭・12月17日
 境内社:天満宮他多数
 由緒:往古は江島村石王に宇佐八幡宮の分霊を祀りしを 天文6年 時の領主筑紫惟門現地に社殿を新建して奉遷し 神領地を献じ 神職数名命婦一名を奉仕せしめ 養父郡の宗廟として崇敬せしが 天正5年8月 島津氏の兵火に罹り文書神宝等悉く焼失せり 後 鍋島氏の領となるや社殿を再興し祭資を供進して江島郷の宗廟と定め 祭典神幸式等盛大に挙行する事となり 以て維新に及べり 社格制定に依り明治6年村社に列せられ 仝40年2月神饌幣帛料供進を指定せらる

特殊神事
 毎年10月15日又は之に最も近い日曜日・市指定 重要無形民俗文化財・村田浮立
 江戸時代、村田鍋島領の惣社であった村田八幡神社の神幸祭の中心行事として、村田町と江島町の氏子によって奉納され、豊年感謝・無病息災の芸能として盛大に行なわれています。
 「村田浮立」は、最初から2頭立てで舞う村田町の獅子舞浮立と、江戸時代の大名行列の様式を比較的残している江島町の行列浮立から構成されています。午前は江島の下宮(石王社)へ『おくだり』して獅子舞を奉納。午後は同じコースを村田八幡神社まで『おのぼり』します。本宮と下宮で演じられる獅子舞は、1頭に2人の男子が入る「二人立ち」の形式で、子供の太鼓打ちが舞い、青年達の鉦がそれに調子を合わせ、獅子は子供2人の獅子つりに操られるようにして舞います。また、現在は行われていませんが、流鏑馬も実施されていました。

参道入口に立つ市指定重要文化財・二の肥前鳥居
肥前鳥居は、肥前地方に興った独特の鳥居の形式で、慶長年間(1596〜1615)に特に造営が盛んだったことから、別名「慶長鳥居」ともいわれています。市内では旧佐賀鍋島藩領に2基建立されています。(もう1基は轟木町日子神社境内)この鳥居は慶安2年(1649)に鍋島大和守茂範によって建立されました。額には「八幡大菩薩」と書かれています。
社頭
参道途中に立つ三の鳥居と額
石段参道
石段参道と境内入口
境内の様子
拝殿前、寛政7年生まれの狛犬
阿は蹲踞、吽は構えの一対で、この地域でも数対しか見ていない貴重な存在の狛犬です。その中でも耳が身体から離れてなびいていたり、鬣の渦が足下まで被さっていたり、玉を踏みつけていたりと、装飾性に優れ、石工さんの腕と感性が感じられる狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(寛政7年(1795)乙卯4月吉祥日建立)
拝殿
拝殿内の様子
拝殿天井絵
本殿
本殿脇障子・龍
大山祇命 大山祇尊
末社 忠魂碑
天満宮と宮内に安置される仏像
浮立田寄附記念碑 末社
末社 末社
参道落成碑 聖徳太子
稲荷社