武雄神社

武雄市武雄町武雄5335(平成23年11月4日)

東経130度1分23.42秒、北緯33度11分5.26秒に鎮座。

 この神社は武雄温泉駅の南約900mに鎮座しています。34号線・天神崎信号から南に降り、迎田緑地角を右折すると、背後に御神体山・神奈備山を頂いた神社の深い森が見えてきます。
 一の肥前鳥居が立つ参道の入口は武雄市歴史資料館北西の道路脇にあり、ここから一般道と共用の参道が、流鏑馬馬場に沿って西南西に約260m程続来ます。神社に入る少し手前には下の宮が建立されています。
 神社入り口には社号標が立ち、心字の池に架かる神橋を渡ると明神鳥居と肥前鳥居の折衷型の二の鳥居が立ち、石段を登って行くと、右手にはご神木・大杉が二本聳えています。石段を登り切ると目の前には城壁のような高い石垣が迫り、右を置くと境内社、左が境内へと上がる参道となっています。石垣に沿って歩いていくと突き当たり手前で右に石段が作られており、その上に三の肥前鳥居が建立されています。
 境内に上がると、正面には社殿、右手に社務所が配され、左手に塩釜神社、城山稲荷神社の境内社が祀られ、其の左から有名な「武雄の大楠」と呼ばれる樹齢3000年とも言われる巨木が聳える神奈備山麓へと続く小道が造られています。
 社殿は、唐破風付き入母屋造りの拝殿・流造の本殿共にコンクリート製で、その前に穏やかで素朴な感じの狛犬がいます。又、最近整備されたと思われる塩釜神社、城山稲荷神社の前にもこの辺りでは見かけない個性的な狛犬が居り、楽しませてもらいました。
 その塩釜神社、城山稲荷神社の左側から後方に下りる石段があり下りていくと、目の前が開け神奈備山に向かって小道が造られています。小道の先は竹林に続き、竹林内の角を曲がると眼前が開け、目の前に圧倒的なパワーを秘めた大楠が、その威容を誇るかのように四方に枝を伸ばした姿を現します。今まで推定樹齢1500年という大楠は鹿児島・蒲生八幡神社で見たことがありますが、推定樹齢3000年という大楠は初めて拝見しました。主幹は空洞化していますが樹勢は旺盛なように見えます。その根元の空洞の広さは12畳程で、その空洞内に石祠が祀られており、日本の信仰の原点を垣間見たような気がしました。この木の素晴らしさは、写真や言葉では到底言い尽くすことは出来ません。是非、現地に足を伸ばして御覧になることを、お奨めします。

 主祭神:武内宿弥、併祀神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、武雄心命
 祭礼日:2月17日・歩射祭、10月22・23日・秋祭(宵の祭 流鏑馬)
 境内社:天照皇太神宮、塩釜神社、城山稲荷神社、天満社
 由緒:武雄神社の創建は、武雄社本紀によれば遠く奈良時代の天平7年(735)となっています。祭神は武内宿弥を主神とし仲哀、応神両天皇、神功皇后、武雄心命を併祀して、五社大明神とも称し、往時九州の宗社として隆々と栄えた時代もありました。神社に保存されている古文書218通は国の重要文化財に指定され最古のものは天暦5年(951)社領を記した「四至実検状」で佐賀県でも一番古く朝廷の実検使が送ったものであります。その他伏見天皇のご綸旨や源頼朝の御教書をはじめ平安、鎌倉、南北朝、室町時代における貴重な文献であります。
 神社の大きな行事として、2月17日歩射祭、10月22・23日秋まつりお供日行事として「宵の祭」「流鏑馬」が行われます。第一、第三鳥居は肥前鳥居と称し、その型式が肥前の国独特のものであります。

参道入口
ここから境内までは凡そ300mもあります。
一の肥前鳥居
流鏑馬馬場の北東、参道の入口にあり、寛永18年(1641)に第22代武雄領主鍋島茂和によって建立されました。
流鏑馬馬場に沿って、西南西に約260m程続く、一般道と共用の参道
流鏑馬馬場南に建立されている下の宮
社号標 神社入り口 参道の様子
神池(心字の池)
神池に架かる神橋
ご神木・大杉(夫婦杉?)
石段手前に立つ、明神鳥居と肥前鳥居の折衷型の二の鳥居
石段参道
境内の石垣
境内へと上がる石段参道の様子
境内入口に立つ三の肥前鳥居
元和3年(1617)に第22代武雄領主鍋島茂和によって再建されたもの。右の柱には「大日本鎮西肥前州杵島郡 正一位武雄宮奉造立石鳥居一柱 鍋島左京亮藤原朝臣茂和 大菩薩威震十方 化流四海 先願 風調雨順時臻 萬民康楽 陽倡陰和道行 七福即生」、左の柱には「専祈 身宮剛建 保八節大來之吉祥 壽域増延 仰一門九族之餘慶 祈願成就而君臣 神主武雄宮内大輔藤原朝臣貞門 時寛永十八年辛巳歳暮春吉日良辰」の銘がみられます。
境内の様子
拝殿前にいる狛犬
台座には昭和47年10月吉日建立とありますが、私的には「この狛犬は、どう見てもこんな年代である筈がない。もっとずっと古い筈。」という気持ちが強く、この年に台座が作られたのでは?…、と考えています。耳を横に張り出し、長方形の顔に人の良さそうな顔と牙が目立ちます。腰をやや浮かした蹲踞の姿勢で、長く緩いカールの鬣と、尖った尾に、綺麗な毛筋が見えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和47年(1972)10月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子
本殿
境内社の石祠
狛犬が遊ぶ灯籠 天照皇太神宮

塩釜神社・城山稲荷神社入り口に立つ鳥居 鳥居に掛かる額
塩釜神社・城山稲荷神社全景
塩釜神社石祠 城山稲荷神社石祠
天満社石祠 慰霊之碑
塩釜神社・城山稲荷神社を護る狛犬
台座には平成22年12月吉日と銘がありますが、これは台座だけの建立年でしょう。阿は上顎が欠損しています。オランウータンの様なとても個性的な顔立ちで、目は丸くかなり飛び出しています。鬣や顎髭は身体に沿って長く流され、毛筋がはっきりと彫られています。尾も何本にも分かれたそれぞれの先まで深く毛筋が表現されています。前脚は付け根が太く足先はかなり細くなっています。身体にははっきりと獅子紋が残っています。ユニークな作りのこの狛犬の類似品は、佐賀県でも他県でも見た記憶がありません。
狛犬の拡大写真はこちらで



神社西の山麓に聳える「武雄の大楠」へは、城山稲荷神社・塩釜神社の左後ろから石段を下りて行きます。
整備された公園の様な、明るく綺麗な周囲の情景を楽しみながら小道を行くと、やがて竹林の中に入り、その先の山裾に「武雄の大楠」がその雄大な姿を見せてくれます。
もの凄いエネルギーとパワーを感じたご神木・武雄の大楠
推定樹齢3000年、樹高30m、幹周り20m、枝張り33m
大楠根元の空洞の広さは12畳程で、その空洞内に石祠が祀られています。
大楠傍に祀られた石祠 大楠絵馬
境内から遙か遠くに見える一の鳥居と参道、参道右側に作られた流鏑馬馬場、下の宮