貴船神社

武雄市東川登町袴野10096(平成23年11月4日)

東経129度59分48.34秒、北緯33度8分47.05秒に鎮座。

 この神社は武雄ジャンクションのすぐ北西、34号線に面して鎮座しています。参道の入口では珍しく道路から参道の石段が下がっています。そして、境内の入口までに二基の鳥居が建立され、神橋の手前には文化元年生まれの狛犬がいます。
 境内の入口にも鳥居が建立され、右奥には楠木のご神木が大きく枝を伸ばし、左手には境内社や石祠・石碑が建立されています。正面の開放的な拝殿前には狛犬と米俵が建立され、拝殿天井には綺麗な彩色が残った天井絵、本殿内には可愛い肥前狛犬がいました。
 この社は旧郷社で、明治期に沢山の神社が合祀されたようで、現在9月の秋分の日に奉納されている面浮立は、明治39年からは日露戦争の戦争祝賀会をかねて行われていたそうです。

 御祭神:高龗神、玉依姫、大山祇命他7柱
 祭礼日:9月秋分の日・護国豊穣祭
 境内社:一社
 由緒:元享元年(1321)の夏杵島郡一帯は数十日も天気が続くという空前の 大旱ばつで、水田にはひびが入り、畑からはかげろうが上がっていた。作物という作物は打ち しおれて枯死寸前の状態である。農民たちは空を見上げて嘆息をするばかりで人力ではどうにもならない。そこで農民たちは潮汲みをして黒髪山に雨乞いの祈願をしたり、御船山に登って鉦太鼓をたたいて祈祷をしたり、あらゆる祈りをしたが、それでも天気は続くばかりであった。
 時の領主武雄第十一代の後藤光明も大変心配して、神官・社僧に命じて武雄神社と黒髪神社に雨乞いの祈祷をさせた。それでも雨雲は一向にやってこない。どうしたものかと途方にくれているある夜、武雄社下宮の祭神木蒐明神が夢枕に現われて、「このままではまだまだ旱ばつは続きます。早く山城国愛宕郡の貴船神社の神霊を勧請して、雨乞いの祈願をしなさい。そうすれば雨が降って万物は蘇生するでしょう。」と告げた。光明は神のお告げに従って早速古志貴川のほとりの清浄の地を選んで一堂を建て、貴船明神の分霊を奉祀した。
 そして、領主は農民たちと一緒に雨乞いの祈願を捧げた。神主がうやうやしく「かけまくもかしこき貴船神社のおおまえに……」と祝詞を奏上しはじめると、西天が俄にかき曇って大雨がやってきた。車軸を流すように、ごうごうと音をたてて、雨は数時間降り続いた。ひびの入った田圃は満水し、神社裏の川には黄色い水が溢れるように流れ出した。農作物は見るみるうちに元気を取り戻していく。山の木々も緑を濃くしていく。領主をはじめ農民たちは霊験あらたかな貴船神社に感謝しながら、農作物の蘇生していく様子をじっと見つめていた。やがて祈願成就の酒盛りが神前で開かれた。歓喜のあまり土地の寄進を申し出る者も出た。農民たちは、夜の更けるのも忘れて飲み交わしていた。
 これがその由来であるが、それ以来風雨の神として尊崇してきた。

社頭
入口に立つ一の肥前鳥居 鳥居に掛かる額「貴船社」
珍しく道路から参道の石段は下がっていきます。
参道途中に立つ二の肥前鳥居
二の鳥居と神橋の間にいる文化元年生まれの狛犬
整った顔立ちで、隙間無く並んだ鋸歯、はっきりとした線刻で刻まれている毛筋の揃った髪と華やかな尾、比較的スリムな体型などが特徴的な塩田型の典型のような狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化元年(1804)甲子11月吉日建立)
アーチ型の神橋
境内入口に立つ三の肥前鳥居
境内の様子
拝殿前、大正6年生まれの狛犬
参道途中にいる文化元年生まれの塩田型狛犬と同じ、塩田の石工さんが作られた狛犬です。スリムなボディがやや肉付きが良くなり、精悍な顔つきも目が強調されたことにより、江戸・明治期の塩田型狛犬とはやや異質な感じがしてきました。吽は玉取です。
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(石工・塩吹 西野鶴松 大正6年(1917)4月28日建立)
拝殿前に奉納されている石像米俵
拝殿
拝殿内の様子
拝殿天井絵
本殿正面
本殿内にいる肥前狛犬
とても可愛い子達なのですが、目の作り、髭の感じ、前脚の位置等が異なりますので、もしかしたら同時期に作成された一対では無いのかも知れません。
狛犬の拡大写真はこちらで
御堂
600年祭祈念碑 前田宗則氏頌徳碑
御大典祈念神殿銅葺碑 日露戦役祈念碑
忠魂碑 忠魂碑
境内社 太神宮他石祠
ご神木・大楠
推定樹齢200年のご神木・イチイガシ
神社裏を流れる六角川