神六鎮守(じんろくちんじゅ)神社

武雄市西川登町神六27053番1(平成23年11月4日)

東経129度57分49.85秒、北緯33度8分19.85秒に鎮座。

 この神社は西九州道の南、102号線沿いに鎮座しています。
 参道入口に立つ一の鳥居から、参道は約50m程、水田の中を真北に向かって真っ直ぐに通っています。遙かに見える神社の境内には、左右に大イチョウの大木が聳え、背後の山容と共に尚一層神社に清々しさを感じさせています。
 石垣の上に造られた境内の入口には二の鳥居が建立され、正面に大正12年生まれの狛犬が護る拝殿が建ち、その拝殿を回り込むと後ろに本殿の建つ上の境内へと上がる石段があり、此処にも入口に建立年代不明の狛犬がいました。本殿は大きな石殿で、木鼻には狛犬や象が彫り込んであります。
 又、拝殿には赤穂四十七士と思われる天井絵が描かれており、とてもチャーミングな市内最古の肥前狛犬も置かれています。

 御祭神:息長足姫命、藤原広嗣
 祭礼日:田祈祷・7月、願成就・9月、秋祭・12月丑の日
 由緒:鎮守神社の由来
当鎮守神社の創立は後陽成帝の御宇天正15年斯波氏の家族前田備後の守管原利勝の三男前田備後の守利清織田右大臣平信長公に奉祀後従卒十余人と肥前の国唐津に浪遊し信長公の汗忌を被り山又谷を渉り身を潜め矢筈村に至り山村昼幽かにして熟々世の盛衰を観じ執弓無為意を感じ修験道に入り法名勇誉と称し其弓箭を修め矢筈大明神と号し地名を矢筈村と呼ばしむ又下二十余町の所に平野あり土地肥えて勝地あるを探り神六村と名づけ鎮守大明神と号し唐津鏡大明神の御神体を分ちて勧請し神殿を新築し茲に住すなり元禄9年11月吉日朝日村の仏師覚良信と云う人が三体の仏像を調整し御神体と崇め西方百間の処に椿枝を挿し置きたるものにて之を記念樹と云う今に其の椿は発芽しつつあり昭和9年353年とある前田利清の末孫前田家右ェ門前田清兵ェ前田庄助前田勘右ェ門前田庄三郎歴代神職として奉仕せり

102号線沿いにある参道入口
参道入口に立つ一の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「鎮守大明神」
参道の様子
社頭
神社入り口に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「鎮守大明神」
境内の様子
拝殿前、大正12年生まれの狛犬
堂々とした塩田型の狛犬で、線刻された毛筋の流れの美しさが特徴なのですが、阿の鼻先が欠損しており表情が読み取れないのが残念です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正12年(1923)4月吉日建立)
たぶん灯篭の上にいたと思われる、大輪の牡丹の花から顔を出している可愛い狛犬
作られたときとは違う形でも、こうして大切に残していただいている、この子達は幸せ者です。
拝殿
この拝殿天井絵は赤穂四十七士なのでしょうか?

拝殿内に保護されている天和2年生まれの肥前狛犬
ずっと屋内に置かれていたのでしょうか、保存状態が極めて良好で、建立年代が彫られた線刻もはっきりと見えます。長方形の顔に鼻筋が通り、澄んだアーモンドアイの上に線刻の眉毛がまるで長い睫毛のように見え、上から見る顔がとても可愛い狛犬です。直方体の頭部は鬣と一体化し、首はほとんど表現されていません。垂直に立つ前肢と水平に伸びる後肢は直角に交わり、関節は竹の節のような作りです。市内最古の肥前狛犬だそうです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天和2年(1682)壬戌11月吉日建立)
本殿の建つ上の境内へと上がる石段参道
上の境内入口に居る建立年代不明の狛犬
阿は口中に玉を含み、吽の尾は壊れてお腹の下に置かれています。鬣や尾の作りが華やかな塩田型の狛犬で、大きく長い牙が特徴的な、賢そうな狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
大きく立派な石殿の本殿
推定樹齢160年のご神木・大銀杏
ご神木・大銀杏