磐井八幡宮

武雄市朝日町中野5483(平成23年11月4日)

東経130度1分59.41秒、北緯33度12分30.21秒に鎮座。

 この神社は高橋駅の北西約1.2kmの小丘上に鎮座しています。この丘は嘗ては「磐井の砦」と呼ばれ、6世紀に筑紫の君・磐井が、大和朝廷に謀反をおこした時砦を築いたともいい伝えられており、又、後藤氏の居館が築かれたこともあります。
 一の鳥居が立つ参道入口から境内に上がる石段までが凡そ250m、自然林の中を緩い坂道が続きます。その石段参道脇には左右に地蔵堂と弘法大師千百年祭記念像が配され、境内入口には二の鳥居が建立されています。森の中の落ち着いた境内中央奥には明治28年生まれの狛犬が護る千鳥破風付き入母屋造りの拝殿と流造の本殿が建立され、拝殿内には注連縄の材料となるのでしょうか、沢山の稲藁が干してありました。又、境内周囲には海童神社と思われる石祠と奥羽凱陣碑等が点在しています。

 御祭神:応神天皇
 祭礼日:とう夜・6月30日 大祓い、田祈祷、夏祭り・7月15日、彼岸ごもり・秋の彼岸に国指定重要無形民族文化財荒踊り奉納、神待ちとう夜・11月30日 出雲の国から帰られる神様を待つ宮ごもり
 境内社:海童神社
 由緒:天正5年(1577)竜造寺隆信の三男家信は、武雄領主第二十代として佐賀より入城するにあたり、佐賀龍造寺八幡宮の分霊を磐井八幡宮として奉祀しました。(境内案内)

 磐井八幡社は中野区の氏神社で、武雄領主第二十代後藤家信が武雄に入嗣した時に、佐賀の龍造寺八幡社の分霊を祭祀しました。御祭神は八幡大神(誉田別尊=応神天皇)です。この地は元来、中野後藤氏の居館であり、後藤氏の北の防御拠点として機能していました。
 毎年秋の彼岸の中日には国指定重要無形民族文化財の「武雄の荒踊」が中野区民によって奉納されます。荒踊は戦国時代に戦勝祝いに足軽たちが即興的に踊ったのが始まりとされ、中野の荒踊は腰をきめ、全身をしなやかに動かす動作に、力強く軽快な動きの中に勇武さがみられます。(境内案内)



社頭
入口に立つ一の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「岩井八幡宮」
参道の様子
参道の様子
石段参道
石段参道脇の地蔵堂 石段参道脇の弘法大師千百年祭記念
境内入口に立つ二の肥前鳥居 鳥居に掛かる額
「磐井八幡宮」
境内の様子
拝殿前、明治28年生まれの狛犬
ホームベース型の顔、薄い頬と波打つ口蓋、顎の皺が特徴的で、前脚がしっかりと台座を踏みしめたオーソドックスな蹲踞の姿勢をしています。垂れ耳ではっきりとした毛の流れを持ち、尾のみならず脇毛にも渦が付けられています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治28年(1895)10月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子 拝殿内に掛かる額
本殿
海童神社? 高矢大権現
奥羽凱陣碑