潮見神社

武雄市橘町永島17343 (平成30年12月26日)

東経130度02分54.75秒、北緯33度10分05.94秒に鎮座。

この神社は、武雄市役所の南東3km程の辺り、橘町永島の街外れに鎮座しております。

御祭神
上宮 伊弉諾尊・伊弉冉尊・橘諸兄公
中宮 神功皇后・應神天皇・武内宿禰公・橘奈良麿公・橘公業公
下宮 渋江公村公・中村公光公・牛島公茂公・渋江宮水神

由緒
悠久の神代の昔、このあたり一帯が島見郷と称される小島でありました頃、伊弉諾、伊弉冉二柱の大神を奉祀申し上げる鳥見社が創建されたのが当社の起源であります。鳥見郷は有明海に面し、潮の流れを知る要地でありましたので、いつの頃からか、この地を潮見、また神社も潮見社と称するようになったのであります。鎌倉時代の嘉禎3年(1237)鎌倉より長島荘の地頭として下向し潮見城の初代城主になり給うた橘公業公が当社を橘氏一族の氏神社と為し給ひました。即ち橘氏の祖であらせます。橘諸兄公を上宮に、その御子であらせられます橘奈良麿を中宮に奉祀し給うたのであります。橘諸兄公は敏達天皇五世の孫で、葛城王と称しておられましたが、臣籍に下られ、元明天皇より橘の姓を賜り給うた橘氏の祖であらせられます。また橘奈良麿公は、孝謙女帝の下で権勢を縦にする藤原仲麿(恵美押勝)の所業に国を憂ひ彼の横暴を排さんとなさいましたが、計画がもれ、天平宝字元年(757)西国のこの地へ配流となられたのであります。後に公業公を中宮に、また、その御孫であらせられます渋江公村公、中村公光公、牛島公茂公を下宮に奉祀申し上げて、今に至っております。境内の御神木の橘は橘諸兄公が姓を賜りました折の元明天皇の御製であります。
境内由緒書き より。

境内より500m程北の参道入口と一の鳥居

神額

二の鳥居


参道右手中宮拝殿

中宮本殿

本殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(皇紀2600年 昭和15年(1940)建立)

末社


参道

境内入口と三の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿内部

本殿

本殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治23年(1890)11月建立)

本殿脇の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿脇の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)


石祠