黒髪神社

武雄市山内町大字宮野1093-2 (平成29年4月6日)

東経129度55分44.01秒、北緯33度12分21.88秒に鎮座。

この神社は、JR佐世保線・三間坂駅の北西2km程の辺り、宮野の結構まばらな街並に鎮座しております。

御祭神 伊弉冉尊・速玉男命・事解男命・菅原道真公命・今山鎮守神

由緒
黒髪神社は、崇神天皇16年(BC82)に朝廷の勅願社として黒髪山を卜して鎮座されたと伝へられる、肥前最古の由緒をもつお社です。
頂上の天童岩には、原初の信仰形態である磐座信仰の姿が伝へられ、また太陽穀霊崇拝にちなむ天童信仰がみられるところからも、歴史的古さが窺われます。
平安末期の史料、「武雄神社文書(国重要文化財)には、当社は「朝廷ノ御祈祷所」で杵島郡第一ノ霊社」とみえます。鎌倉期以降、天台修験と結びついた熊野信仰が伝播してくると、神仏習合の様相が強まり、やがて「黒髪大権現」の称号で呼ばれるようになります。末社・掛社は杵島郡・松浦郡を中心に50社に及んでいました。
戦国期には、諸武将が誓願の起請文として用ひた「牛王法印」守札を発行してをり、上宮・中宮・下宮の三所からなる規模とともに、社格の高さををあらはしてゐます。江戸期の祭礼日は「士民群集シテ市ヲナス」賑ひであったと古記にあります。
秋のお供日に奉納される流鏑馬は、永万元年(1165)、大蛇退治の願成就として当社下宮に於て奉納したのが始まりで、現在まで八百四十有余年続く伝統神事となってゐます。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

神橋

二の肥前鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿


末社