高木八幡宮

佐賀市高木瀬東2-12-8(平成23年8月8日)

東経130度17分53.27秒、北緯33度16分43.88秒に鎮座。

 この神社は佐賀駅の北約2km、263号線と31号線に挟まれた地域に鎮座しています。
 参道入口に立つ一の鳥居から、一般道と共用の参道は、北に約100m程続きます。神社に近づくにつれ、入口に聳える樹齢450年のご神木・ムクノキが、天高く主幹と枝を伸ばしている姿が良く見え、二の肥前鳥居を潜ると神門が建立され、境内に入ります。境内左には社務所、右には建造中の建物が配され、正面奥に建立されている拝殿前には、大型の肥前狛犬と明治29年生まれの狛犬がいて、狛犬ファンを喜ばせてくれます。本殿左には樹齢450年のご神木・クスノキが聳え、右から奥には太郎坊神社を始めとする境内社が祀られています。
 現在は工事中でやや雑然とした感じがしましたが、普段は静かで清々しい神社なのだろうと想像できる、素敵な神社でした。

 御祭神:八幡社:大鷦鷯天皇、誉田天皇、気長足姫天皇、太郎坊社:火之迦具土大神、天満神社:管原道真、稲荷社、その他
 祭礼日:例祭春(祈年祭)・4月5日、例祭秋(新嘗祭)・11月15日、小祭夏祭(夏越祓)・8月1日
 境内社:太郎坊社、天満神社、須賀神社、椎森稲荷大明神、その他
 由緒:肥陽古跡記に久安中、貞永の祀るところと伝う。宮は今佐賀郡高木瀬村八本杉にありて、社記に「高木越前守藤原貞永と申す人、平氏残党追伐の命を蒙られ、此の国へ下向有りて、佐賀郡高木の庄に居住せられ、武備を専にして、民を撫育し、大平の治に帰らん事を思ひ計り居られしに、或る時午睡せられける夢の中に、忝くも異霊の御姿忽然と顕れ玉ひて、告けて宣はく、汝能く我が皇祖神明を仰き尊み、誠心を盡し怠らざること年久し。今より朝日の昇る像を画きて籏の紋とすべし云云と。」
社記によれば、近衛天皇の久安年中(1145〜1150年)大織冠鎌足の正統の後裔高木越前守藤原貞永という者、高木の庄に下向して居城を構えていたが、霊験に任せて旭日の形を画いた旗を押し立て、居城の守護神として八幡大神を奉祀した、とありこれが八幡社のおこりである。本社創建の年月はこのようにすこぶる古く中世当国に振うた高木の豪族の礼拜所であった。社前の一基の鳥居は藩主光茂公の寄進であり、又、剣一振を寄進されたことからしても藩主の崇敬厚かったことを知ることが出来、上佐賀下郷中の総社であった。
(「境内案内」より)

ねじり浮立について
○ 起源 玄蕃一流浮立
○ 構成 天衝舞、大太鼓、鉦、小鼓、笛、お謡い
○ 奉納日 11月中旬の日曜日(本来は11月15日の高木八幡宮秋祭り)
 「ねじり浮立」は、以前11月15日の高木八幡宮秋祭り(お供日)に奉納されていたが、現在は11月中旬の日曜日に実施している。
 構成は、天衝舞・大太鼓・鉦・小鼓・笛・お謡いからなり、鉦打ち・モリャーシ(小鼓)がそれぞれ2列になって笛に合わせて「道行」で神前まで進み、神前で舞う祓え=本囃子と「エイヤー」と「まくり」が奉納される。天衝舞は、大太鼓や笛に合わせて勇壮に舞う。
この浮立の呼称は、青壮年男子が掛け声とともに、上体をねじらせて鉦を打ち、モリャーシの子どもたちも鉦打ちと同様の所作をして小鼓を打つことから、「ねじり浮立」と呼ばれるようになった。また、鉦打ち・モリャーシともに頭の上に「旗さし」を立て、女物の衣装・稚児衣装をまとうところは、勇壮な中にも派手さの混じった舞囃子である。
平成20年11月12日佐賀市重要無形民俗文化財に指定
(「佐賀市地域文化財データベースサイト さがの歴史・文化お宝帳」より)

参道入口に立つ一の台輪鳥居 鳥居に掛かる額「八幡神社」
参道の様子
社頭
神社入り口に立つ二の肥前鳥居 鳥居に掛かる額「八幡宮」
神門
境内の様子
拝殿前にいる肥前狛犬
大型な肥前狛犬ですが、風化により磨耗が進み、顔の作りや身体の浅い繰りが不明瞭となり、殆ど石の塊と見えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿前、明治29年生まれの狛犬
垂れ耳でやや上向き、どっしりした重厚な感じの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治29年(1896)4月建立)
拝殿
本殿
境内社:須賀神社 境内社:天満神社
境内社:椎森稲荷大明神 石祠
猿田彦大神他 天照皇大神太神宮他
大乗妙典千部擒他 石祠と額
石碑 天照皇大神太神宮他
石祠と石碑 御神馬像

境内社:太郎坊神社
社殿内の様子 御神像
樹齢450年のご神木・ムクノキ
樹齢450年のご神木・クスノキ