楠神社

佐賀市白山1-3-2 (平成30年12月27日)

東経130度18分01.86秒、北緯33度15分07.36秒に鎮座。

この神社は、龍造寺八幡宮境内に鎮座しております。

御祭神 楠正成命・楠正行命

由緒
寛文3年(1663)佐賀藩の国学者、深江信溪、大木英鉄等が京都の仏師法橋宗而に托して楠公父子桜井駅決別の像を作成し、佐賀郡北原村の永明寺に安置したのに始まる。降って嘉永3年(1850)楠公義祭同盟が結成され、安政3年(1856)地を龍造寺八幡宮境内に移して楠神社を建立し、この尊像を御神体として奉祀し毎年義祭を盛大に行った。
明治維新の元勲として国事に盡瘁した佐賀藩の大先輩江藤新平、副島種臣、大隈重信等はことごとくこの同盟に加わり後年世に出て名をなした。
境内由緒書き より。

神社入口と一の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和11年(1936)春建立)

楠公父子桜井駅決別の像

桜井の別れは、西国街道の桜井駅で、楠木正成・正行父子が訣別する逸話である。桜井駅で別れた後、正成は湊川の戦いに赴いて戦死し、今生の別れとなった。桜井の駅の別れ、桜井の訣別ともいう。
古典文学『太平記』の名場面のひとつで、国語・修身・国史の教科書に必ず載っていた逸話であり、いわゆる戦前教育を受けた者には大変有名な話であった。
ウィキペディア より

本殿


義祭同盟之碑