老松天満宮

佐賀市兵庫町若宮106(平成23年8月4日)

東経130度20分9.2秒、北緯33度16分10.34秒に鎮座。

 この神社は34号線と51号線が合流する兵庫町堀立西信号の南西約200mに鎮座しています。51号線から真北に入ると「老松天満宮」と書かれた額が掛かる一の肥前鳥居が立ち、鳥居を潜ると約40m程で神橋を渡って境内に入ります。境内入口には二の肥前鳥居が立ち、明るくのびのびした境内奥の社殿脇には「佐賀の名木」に指定されている樹齢600年の大楠が聳えています。
 そして社殿前にはお目当ての狛犬が3.5対(塩田型が一対と肥前が2対と単立一体)…。何という幸せをもたらしてくれる神社なのでしょう。又、拝殿内には天井絵が描かれ、そちらでも目を楽しませてくれました。

 御祭神:菅原道真公とその室、淀姫神、乙姫神
 祭礼日:不明
 境内社:笹森稲荷大明神、稲荷社他
 由緒:巨勢神社の由緒記によると、源頼朝が家来を諸国の地頭に任じていた頃、建久5年(1194)武蔵国7党の随一であった児玉党の宗家である参河守俊治がこの地方に下向して、本城を牟田に築き、故国の氏神であった老松大明神を勧請し、巨勢庄500余町の崇廟とあがめた。なお老松明神の他に、淀姫大明神、天満宮、乙宮大明神をあがめたので4社の明神ともいった。その後、花園法皇の延慶年中、立川阿波守一族が、鎌倉の今泉村から当国に下向し、巨勢の地に場所を選んで今泉村と称し、そこに館を築いた。そして巨勢庄の崇廟である老松大明神を今泉村に遷し、その後宮に老松天満宮をあがめたとある。老松神社の主祭神は道真公の北の方、老松女となっているが、鳥栖市の瓜生野にある老松社の由来記によると、道真公の第5子長寿麿が、この地で亡父の像を自ら刻んで祀ったが、長寿麿の家の名を老松といったので、その名をとって付けたともいう。
(「佐賀市地域文化財データベースサイト さがの歴史・文化お宝帳」参照)

参道入口
一の肥前鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
社頭
神橋と境内入口
境内入口に立つ二の肥前鳥居
境内の様子
参道左右にいる昭和41年生まれの狛犬
ここ佐賀では昭和41年担っても岡崎現代型に犯されることなく、このように独創的な狛犬が制作されていたのでしょうか?素晴らしい土地柄ですね。九州の狛犬探訪の第一人者・狛犬天国の狛太郎さんはこの狛犬を「塩田型」とおっしゃっていますが、頭部が大きく、力強い古武士の雰囲気が伝わります。。
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(昭和41年(1966)5月建立)
二対目の肥前狛犬
肥前は縦型が多いように見受けますが、たまにはこの様に所謂「はじめ」に近い狛犬もいるのですね。それとも是は「肥前」とは別系統の「はじめ」に分類して良いのでしょうか?いずれにしてもとても素朴で可愛い子達です。只、気になるのはこの子達の顔の向きです。双方とも社殿の方の顔を傾けています。反対位置に置くと阿吽の位置が反対になりますから、元々は縦置きでお互いを眺めて暮らしていたのでしょうか?
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一体だけの単立肥前狛犬
二対目の狛犬よりも少し上半身が起き気味になってきています。顔つきも肥前っぽくなってきているので、過渡期の狛犬なのでしょうか?
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拝殿縁下にいる肥前狛犬
顔つきも体型も完全なる肥前狛犬ですが、鬣が笏谷の様にクレオパトラカットなのが変わっています。
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拝殿
拝殿木鼻・狛犬と象?
拝殿にかかる額「老松宮」 拝殿天井絵
弊殿と本殿
末社 末社
末社 末社
稲荷社 笹森稲荷大明神
ご神木・大楠
推定樹齢・約600年、樹高24m、幹回り5m、枝張り22m