男女(なんにょ)神社
佐賀市大和町久留間5109(平成23年8月6日)
東経130度14分1.79秒、北緯33度18分52.05秒に鎮座。
この神社は長崎自動車道すぐ北の267号線東に参道入口があり、案内板と一の鳥居が建立されています。神社はそこから約1.5km程北のみかん園の奥に鎮座しています。小丘中腹に鎮座する神社前から振り返れば、みかん畑の向こうに佐賀平野が見下され、遠く有明海を隔てて雲仙の山々すら見ることが出来ました。
途中にある駐車場から坂道を上がっていくと、大楠を代表とする大きな鎮守の杜が見え、社前には二の鳥居が建立されています。石段を上がり境内に入ると真っ直ぐ付けられた参道途中に馬像や灯籠、狛犬が建立され、入母屋造りの大きな拝殿、その後ろに流造の本殿が建立されています。
又、境内では鞘の神や招霊の木等、他では余り見られない貴重な物も拝見できます。
佐賀市街地からはかなり北に入った不便な所に鎮座する神社ですが、神社に至るまでの周囲の景観や、鎮守の杜をはじめとする神社の佇まいなど、それを払拭するに足る魅力が有る神社でした。
御祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊
祭礼日:1月1日・ 歳旦歳 新年祭、2月3日 ・節分祭 御火焚祭、2月27日・祈年祭、4月27日
・例祭、11月3日・新嘗祭、12月31日・大祓祭、1日・15日・月次祭
由緒:神社の祭神は男女二神である処から縁結び並商売繁盛農の神で古来より尊宗されている。元亀元年(1570)今山の陣で兵火の為、宝物古文書等焼失し、その創建年月は不明であるが、少なくとも今より650年以前に創建されていたと推定される。
七百年の昔建治年間正空上人が光明寺(現在廃寺)を男女神社の南東に建立しその子院末寺も建ち並び比(此?)の一帯は仏教繁栄の霊地であったといわれ今も其の地名が残っている。
この頃は神仏習合(混淆)の時代で光明寺の和尚が代々に亘って男女神社座主として管理し神座を勤めていた。昔は大社にて東の谷に講堂あり西の谷に楼門ありし由是故に、東の講堂、横馬場と唱へ西を楼門谷と称し今に堅馬場、横馬場等の地名を有し持って当時の盛大なりし事を想い起される。現在の神社は今山陣の兵火で焼失し後に再建された事は棟銘にもあり承応3年(1654)今から330年前に佐賀初代藩主鍋島勝茂侯、小城藩祖鍋島元茂侯の出資で再建された事が記されてあり、ここに立てば佐賀平野を眼下見渡された。秩父の宮殿下の御立寄りの碑もあり、遠く有明の海をへだてて、雲仙の山々が望見され社殿の直前には横穴式石室を有し、比(此?)の周辺には数百の大小円墳があったが、今はみかん園となり其の面影はない。
現在も大字久留間の氏子により春秋の例祭が行われている。
「男女神社公式サイト」はこちらで
長崎自動車道すぐ北にある参道入口 |
|
参道入口に立つ一の鳥居 |
鳥居に掛かる額 |
|
|
神社遠景 |
|
社頭 |
|
境内入口に立つ二の台輪鳥居 |
鳥居に掛かる額「男女社」 |
|
|
境内入口 |
|
境内の様子 |
|
拝殿前、昭和10年生まれの狛犬 獅子頭のような整った顔立ちで、阿は玉取。阿吽共に肘まで台座につけた構えで、動きよりも安定性を感じる狛犬です。筋肉質で力強い身体に、深く彫られた鬣や尾が、装飾的に優れた華やかさを感じさせます。この地域の狛犬としては、とても珍しい姿をしているのではないでしょうか?この石工さんの作品は小城市・七星宮、小城市・烏森稲荷神社に見られます
狛犬の拡大写真はこちらで |
|
|
(石工・平川伊三 昭和10年(1935)4月吉日建立) |
鞘の神 |
|
|
絵馬 |
|
|
ミカン畑と眼下に見える佐賀平野 |
|