金刀比羅神社

佐賀市金立町金立3349(平成23年8月6日)

東経130度18分6.73秒、北緯33度19分37.17秒に鎮座。

 この神社は長崎自動車道の北、弘学館高校の西南西約200mに鎮座しています。
 一の鳥居が立つ入口から長い石段参道が続き、一旦平坦になった参道脇に社務所が造営されています。参道は突き当たりを右に曲がり、再度、石段の参道となり、高い石垣の上に造られている境内まで続きます。境内入口には鳥居が立ち、建立年代不明の古い狛犬と可愛い岩狛さん、そして足が短く小さい在来馬風石像が置かれ、正面に千鳥破風・唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿と引き続いて本殿が建立されています。境内左には宮地嶽神社をはじめとして様々な境内社が祀られています。

 御祭神金刀比羅神社:神産巣日大神、大国主大神、多紀理津毘売神、少名彦大神、事代主大神、建御名方大神、金山彦大神
     宮地嶽神社:息長足毘売命、勝村大神、勝頼大神
 祭礼日:初祈願祭・正月10日、春季大祭・5月10日、大祓式祭・6月10日、不知火祭・8月10日、秋季大祭・11月10日、大祓式祭・12月10日、月並祈願祭・毎月10日
 境内社:松盛稲荷神社、東照宮、床浦大明神
 由緒:金刀比羅神社は、称徳天皇の御宇天平神護元年(764)肥前国々司が四国金刀比羅宮御分神を肥前国金刀比羅宮総座の宮、金刀比羅大将大権現と尊称して奉祠以来、豪族、武将庶民の崇敬を集めておりましたが天正3年戦火によって堂宇は灰燼と化し天正5年竜造寺隆信が社殿を再建して以来、竜造寺家、鍋島家の直願神社として海上守護神、農業殖産神、医薬祖神、福徳円満結縁の神として、祈願立願の崇敬篤くなり、藩祖鍋島直茂は、朝鮮の役、島原の役等の解願成就奉賛の為、山林七町余りと観音寺一乗院一宇を別当寺として建立し、又5代藩主鍋島宗茂は享保17年若君宗教(6代藩主)の大病平癒、祈願成就奉賛の為、荘厳美麗な神殿を建立して権現原より当山へ遷宮されると共に併せて佐嘉城本丸に奉祀中の東照宮も当山へ遷宮して本支藩挙って金宝を奉納するなど崇敬の誠を尽されて参りましたが明治維新によって、山林社地は境内地若干を残して上地となり以後、崇敬者の奉賛により現在に至っております。
 宮地嶽神社は、鍋島直正10代藩主時代の天保13年福岡県福間鎮座の御分神を金刀比羅神社に合祀し、明治元年、明治天皇江戸城御遷都を記念して社殿を建立遷座されてより勝負学芸の神、商売繁盛の神として明治26年社殿改修以来今日に至り、崇敬者の奉賛を得ております。



社頭
入口に立つ一の台輪鳥居 鳥居に掛かる額「金毘羅神」
石段参道下部
石段参道上部
一旦平坦となった参道脇には社務所が建っています。
参道は突き当たりを右に曲がり、再度、石段の参道となります。
境内へと上がる石段参道と境内入口
境内入口にいる直置きの建立年代不明の古い狛犬
旗立て柱の影に隠れるように地面に直接置かれていますが、非常にインパクトの強い狛犬です。大きなアーモンドアイに鼻筋が通り膨らんだ小鼻と大きな穴が印象的な鼻、耳まで届くように広がった口の中に上4本下7本で表現されている鋸歯、胸が無く首から直接足が出ているような造り等の古拙な表現に進化過程にある狛犬…という印象があり、でもそこが余計に撫で回したいほどの可愛さを感じさせます。
狛犬の拡大写真はこちらで
万延元年生まれの岩狛さん
吊り上がった眉、くりくりした眼、斜め上にピンと張った顔脇の鬣、丸みを帯びた頬などから若々しさや、向き合った姿からは何やら悪戯を相談しているような感じを、三頭身の体型からは可愛らしい印象を受けます。岩狛さんの中でも、姿、彫りの良い狛犬さんではないでしょうか?
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・小熊村(大和町)傳十 万延元年(1860)庚申建立)
境内入口に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
鳥居の影に隠れるようにいる小さいお馬さん(社殿側から撮影)
手水舎
千鳥破風・唐破風付き入母屋造りの大きな拝殿
拝殿内の様子
拝殿天井絵
本殿
宮地嶽神社
鍋島直正10代藩主時代の天保13年福岡県福間鎮座の御分神を金刀比羅神社に合祀し、明治元年、明治天皇江戸城御遷都を記念して社殿を建立、遷座。
境内社:松盛稲荷神社
末社群、中央大きな石祠が境内社:床浦大明神