金立神社下宮

佐賀市金立町金立2467(平成23年8月6日再訪)

東経130度18分12.41秒、北緯33度19分4.93秒に鎮座。

 この神社は31号線・金立養護学校入り口信号から真っ直ぐ北に約200m行くと正面に鎮座しています。
 神社の入り口に立つ一の鳥居も、境内の入口に立つ二の鳥居も、又、裏参道入口の鳥居も、貴重な肥前鳥居です。夏休みだったので子供達は居ませんでしたが、境内東には金立幼稚園があり、極日常的に神社と親しんでいる子供達が羨ましく思いました。拝殿前には明治11年生まれの狛犬がおり、流造の本殿は目が覚めるような朱色に彩色されていました。
 又、社殿左には秦の始皇帝の命令で不老不死の薬を求めてやって来た徐福に、フロフキを授けたとされる弁財天が祀られています。

 御祭神:保食神(穀物の神)、罔象売女命(水の神)、秦の徐福
 祭礼日:3月15日・春季大祭、11月3日・秋季大祭
 境内社:甲羅弁財天、猿田彦大神
 由緒:この神社の祭神は、金立山頂にある本社上宮と同じで保食神、罔象売女命、秦の徐福の三神である。昔、勅使並びに一般参詣者の便宜をはかって建てられた社で境内には、徐福が不老不死の薬草を授かったという甲羅弁才天をまつる堂がある。
 神社所有の絹本淡彩金立神社縁起図(佐賀県立博物館展示)には、金立神社上宮の景観、下宮、徐福が浮盃江(諸富町)に上陸の様子が彩色鮮やかに描かれ金立神社の祭神にまつわる絵画としてその価値は高く評価されている。

 金立山(標高501m)山頂に徐福を祭祀する金立神社は、奥の院、上宮、中宮、下宮、下之宮があります。
 創建時期は古くて不明ですが、「日本三代実録」に、金立神は「清和天皇の貞観2年(861)3月、正六位上から従五位下に昇叙、光孝天皇の元慶8年(884)12月従五位下から従五位上に昇叙」の記録があります。
 貞観2年(861)にすでに正六位上の叙位を受けていたのですから、金立神社の創建は更に遡るものと思われます。
 金立山山頂に上宮・奥の院、中宮は金立神社参道七曲入り口の山腹、下宮は金立山麓に鎮座し、社務所は下宮にあります。
 更に、徐福上陸の浮盃にある下之宮へは50年に一度上宮から「御神幸」があり、徐福が通った途を辿ります。

社頭
神社入り口に立つ一の肥前鳥居 案内板
境内入口に立つ二の肥前鳥居
境内の様子
拝殿前、明治11年生まれの狛犬
精一杯首を伸ばして遠くを眺めている狛犬。阿の上顎と尻尾、吽の右前足が欠けてしまっています。穏やかな顔で、体表が滑らかで女性的、毛筋は深く流れるように彫られ、尾が太く華やかです。阿の背中に張り付いている子狛が微笑ましくとても可愛く、石工さんの狛犬に対する愛情が感じられます。
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(明治11年(1878)5月建立)
拝殿
拝殿内の様子
本殿
本殿正面

甲羅弁財天
甲羅弁財天を護る、建立年代不明の岩狛さん
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猿田彦大神 頌徳碑
入口に聳えるご神木・大楠
境内に聳える推定樹齢450年のご神木・大楠

「徐福さんがたどった佐賀の道・佐賀の徐福物語」拡大写真はこちら