蛎久天満宮

佐賀市鍋島町蛎久1448(平成23年8月8日再訪)

東経130度16分41.35秒、北緯33度17分9.9秒に鎮座。

 この神社は佐賀駅の北西約4kmに鎮座しています。
 一の鳥居から約100m程参道は北に延びています。社頭には樹齢410年の二本のご神木・ムクノキが左右から入口の肥前鳥居に覆い被さるように聳え立ち、神橋を渡ると神門前には肥前狛犬がちょこんと置かれています。
 境内は右側にお籠り堂や御神輿格納庫が配され、中央に明治4年生まれの岩狛が護る唐破風付き入母屋造りの拝殿、三間社流造の本殿が建立されています。その社殿右奥には伊勢神宮の分霊を祀る蛎久大神宮、左奥には龍樹菩薩堂や道祖神等が祀られています。
 この社は、太宰府天満宮、水田天満宮と共に鎮西三大天満宮といわれていた由緒ある古社ですが、歴史が感じられる落ち着いた佇まいの素敵な神社でした。

 御祭神:管原道真公
 祭礼日:3月25日、11月25日
 境内社:蛎久大神宮、道祖神他
 由緒:後冷泉天皇の天喜2年(1054)太宰府天満宮から御分霊を勧請し、奉祀して文教の祖神、誠の神として氏子発展の産土神として村民の崇敬を集め今日に至っている。
 なお天満宮は太宰府天満宮、水田天満宮と共に鎮西三大天満宮といわれていたが、元亀元年(1570)大友の乱で焼失してしまい、元亀4年(1574)に龍造寺隆信が社殿を造営し龍造寺代々の信仰があつく、また鍋島氏となってからも初代勝茂、二代光茂、三代綱茂などの信仰が深く、神殿、拝殿、付属建物も造営された。
 天喜2年本社創建にあたっては、菅家の子孫中願寺、岩松両氏が社職に任ぜられた。当時は17ヶ所の末社を有し、神領は二百余町に及び、権勢は地方に冠たるものがあった。
 そして同社に祀った神像は水鑑の一軸で、道真公生存中池水に影を映して自ら写したものであった。なお本社は明治4年村社に列せられ、明治中頃までは春秋2回の祭典(3月25日、11月25日)には門前、東西に休憩所を設け、一の鳥居までは両側に売店や見世物小屋が並び、参詣人織るように多く盛況であったという。

参道入口に立つ一の鳥居
一般道と共用の参道
社頭
神社入り口 社号標
神社入り口に立つ二の肥前鳥居 鳥居に掛かる額
入口に聳える樹齢410年の二本のご神木・ムクノキ
参道の様子
神橋
神門前に居る肥前狛犬
やや大柄で縦置き、阿吽の位置が反対です。磨耗が激しく顔の表情も定かではありません。
狛犬の拡大写真はこちらで
神門
境内の様子
拝殿前、明治4年生まれの岩狛さん
岩が小さく、岩狛としてはとても変わった意匠です。又、阿吽の位置が反対で、阿の口中には玉が含まれています。整った顔立ちでスタイルも良く、全体的なバランスが優れた狛犬です。前脚の脇毛が大きく羽のように見えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治4年(1871)辛未10月建立)
拝殿
拝殿内の様子
拝殿天井絵
本殿

蛎久大神宮入口と社号標
蛎久大神宮境内
蛎久大神宮社殿とご神体

道祖神 六地蔵
石祠 御神輿格納庫
石祠 石祠、石仏、石碑
神使い・牛 飛梅
お籠り堂

十一面観世音大菩薩堂

龍樹菩薩