佐賀市神野西2-2-10(平成23年8月7日)
東経130度17分41.32秒、北緯33度15分42.58秒に鎮座。
この神社は佐賀駅の西北西約400m、267号線沿いに参道入口があります。私達が宿泊したホテルに近く、朝一番に徒歩で参拝しました。
一の鳥居は江戸時代後期の享和元年(1801)に建立された鳥居の柱の下部に、車が通れるように短い円柱を継ぎ足したのだそうです。そこから北に約70m程一般道と共用の道路が走り、神社の入口には低い石積と二の鳥居が建立されています。駐車場の奥に金属板で補強された三の鳥居が立ち、神橋を渡って神門を潜ると境内へ入りますが、その前に一体だけの肥前狛犬が手招きをするような形で置かれています。
奥には高いビルが見えますが、境内周囲は緑の木々で囲まれ、閑かで落ち着いた雰囲気があります。そしてその中央奥に、大柄な肥前狛犬と岩狛さんが護る、入母屋造りの厳かな拝殿・弊殿・流造の本殿が建立されています。
又、境内周囲には、数え切れない程沢山の境内社や石碑、石仏などが置かれています。
時間が早かった所為もあるのでしょうが、町中とは思えない程緑が多く、閑かな環境に恵まれた神社でした。
御祭神:景行天皇、神功皇后、上筒男神、中筒男神、底筒男神、天照皇大神、応神天皇、大山祇命、倉稲魂命、管原道真、若比留女命、建御方命、大己貴命、木花咲邪姫命
祭礼日:3月14日・祈年祭、7月15日・夏祭大祓い、11月3日・ 秋季例大祭 供日、12月14日・新嘗祭
境内社:祖霊靖国社、縣皇大神宮、太神宮、水神、天満宮等多数
由緒:熊襲討伐のため肥前に来た日本武尊の威徳をしのんで土地の人が小祠を建て掘江大明神と称えたのが起原で景行天皇神功皇后が主祭神で外に後宇多帝が蒙古退治を祈願されたとき勧請の風浪権現即ち住吉三神をあわせ祀ってある。神功皇后御皇運を祈らせ給いて当社広前に緑竹一本を植え給いて
「千早振神袁此野仁集天一村竹袁■登■■ 千早振神袁此野仁集弓一村竹袁宿登■■」
御歌を■(「県」下に「心」)げ天神地祇を祭らせ給いけるに其竹緑をまし新篁を生じたりと伝う。それにより御歌に因みて此野村と名づけ後国音相通ずるを以て神野に改む。
祭神天照皇大神外八柱の無格社を合祀し祭神に追加する。
267号線沿いの参道入口 | |
参道入口に立つ享和元年(1801)建立の一の鳥居 | 一の鳥居に掛かる額 「堀江大明神」 |
一般道と共用の参道 | |
社頭 | |
神社入り口に建つ二の鳥居 | |
参道の様子 | |
三の鳥居 | |
神門前にいる一体だけの肥前狛犬 四肢が欠け、顔つきも定かではありません。でも、境内に入る前に、狛犬に手招きされているようで、気持ちが良かったです。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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神橋 |
神門 |
境内の様子 |
拝殿前、大柄な肥前狛犬 眼や阿の口角は殆ど線で表現され、縦ロールの鬣と顎髭が一体化して、厚いマフラーのように首に巻き付いています。上腕が太く力強さを感じさせます。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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拝殿前、明治20年生まれの岩狛さん 年老いたような若々しいような不思議な顔立ちの狛犬です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(石工・城島儀七 明治20年(1887)丁亥3月吉辰日建立) |
拝殿 |
弊殿と本殿 |
祖霊靖国社 | |
水神等の末社 | 庚申塔、中央等の石碑 |
縣皇大神宮、太神宮等 | 天満宮等の末社 |
縣皇大神宮、太神宮等 | 石仏 |
太神宮、若宮等 | |
石塔 | 石仏 |
石碑、石仏 | 稲荷社 |
ご神木・大楠 | |
推定樹齢600年のご神木・大楠 | |