八幡神社・天満神社

佐賀市東与賀町田中(平成23年11月5日)

東経130度17分42.74秒、北緯33度12分51.44秒に鎮座。

 この神社は260号線・上古賀バス停西に鎮座しています。入口には「八幡神社 天満神社」の額が掛かる鳥居が建立され、道路に沿って細長い境内正面奥に明治26年生まれの岩狛が護る入母屋造りの拝殿が建立され、拝殿内に御神像や磐座と思われる石が安置されています。

 御祭神:誉田別命、管原道真公
 祭礼日:八幡神社・12月15日、天満宮・11月23日
 境内社:太神宮、中尊神等
 由緒:普通「お八幡さん」の尊称でこの村の守り本尊として鎮座されているこの宮は八幡神社と天満宮の二つの神が合祀されていて本町内では珍しいことである。大鳥居の正面に二神併祀の額束が大きく掲げられている。明治34年に再建されたが、昭和30年5月に改築され、更に同43年7月県道の拡幅工事の際にも改築工事を余儀なくされた。
 天満神社の御神体を見ると、佐嘉柳町佛師北村儀平作明治10年3月とある。改築前の社はいつの頃建てられたものか不明。鳥居の右柱には「明治二十五年辰歳九月吉良日・当邑中建之」とあるので、比較的に新しい。ただこの宮の境内は創建以来広々とした社宇と境内を誇っていたが、佐賀市街地へ通ずる県道開通以来相当に狭くなった事は残念である。
 狭くなった境内には太神宮・中尊神等一緒に並べて祀られてある。太神宮の右側面に「享保十七年(1732)八月吉日處立之」と刻まれている。その台石には寄進者とみられる横尾千之允・蒲原治兵衛・徳久善蔵・仝儀左衛門等の氏名が列記されている。これらの氏名は現在下古賀や飯盛・新村等に居住する人々の姓を考えて、この上古賀から下の村落へ漸次分家や移住したのではないかと思われるが、このことは正保絵図にも出ていて一つの証拠とも言える。
 両宮の中で天満宮の例祭は毎年11月23日(勤労感謝の日)に、八幡神社の例祭は12月15日と決めて挙行している。
(「佐賀市地域文化財データベースサイト さがの歴史・文化お宝帳」より)

社頭
入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「八幡神社 天満神社」
境内の様子
拝殿前、明治26年生まれの岩狛さん
全体的にバランスが良い、石工さんの技量の高さが分かる、凛々しい狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治26年(1893)建立)
拝殿
拝殿内の様子
本殿鞘堂
太神宮他 中尊神他