祇園社

佐賀市久保田町久保田(平成23年11月5日)

東経130度13分45.65秒、北緯33度14分45.77秒に鎮座。

 この神社は207号線沿いの久保田宿の中ほどに鎮座しています。
 入口鳥居脇には「久保田宿 祇園社」の案内があり、鳥居を潜ると、境内右側に久保田宿公民館が配されています。正面玉垣奥には、万延元年生まれの岩狛さんが護る唐破風付き入母屋造りの拝殿、流造の本殿が建立され、境内隅には稲荷大明神、庚申尊、太神宮等の末社や石仏等が祀られています。

 御祭神:素盞鳴尊
 祭礼日:旧暦6月15日・夏祭
 境内社:稲荷大明神、庚申尊、太神宮等
 由緒:社の創建の時期は定かではないが、弘化3年(1846)の西持院文書に、「祇園社敷地二畝十六歩、地米一斗七升五合、若狭殿分御免地宮司双林坊」という記録が残されていることから、それ以前の建立と推定される。
 祭神は素盞鳴尊(須佐之男命)、荒神様として氏子の人々に恐れ敬われてきた。
 境内の入口にある明神鳥居には「文久四年歳次甲子孟春吉旦」と刻されている。拝殿の前には、左右に「文久元年」と刻された石燈篭と、「万延元年」と刻された狛犬がある。他に、石の手水鉢があり「安政七年」と記録されている。
 久保田宿は、昔の長崎街道の宿場町として栄えたところで、往時、旅館はもちろんのこと、かじ屋、大工職、酒屋、桶屋、畳屋、床屋、豆腐屋、歌舞伎役者など数多くの家が軒を並べていたことから祇園祭りも華やかなものがあったと想像される。
 毎年、旧暦6月15日は夏祭りで、神事、余興などで賑わった。祇園社の夏祭りの日は、各家庭では、和紙を張った行灯を作り、絵を描き造花で飾って家の入口に立てた。祭り客をもてなす料理は「タラの煮しめ」に「ウリの酢もの」などで、祇園の日はキュウリは食べないというところが多い。切り口が祇園社の紋に似ているからとも言われている。また、祇園の日に泳ぐとカッパにヘソを抜かれると言い伝えのある所もある。
(「佐賀市地域文化財データベースサイト さがの歴史・文化お宝帳」より)

社頭
境内入口に立つ台輪鳥居 鳥居に架かる額
境内の様子
拝殿前、万延元年生まれの岩狛さん
典型的な砥川型の岩狛で、若々しい顔つき体つきで、躍動感に溢れています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(万延元年(1860)庚申11月吉日建立)
拝殿
弊殿と本殿
稲荷大明神、庚申尊、太神宮他
戎神 石祠
ご神木・大楠