梅野神社

佐賀市大和町大字梅野2552 (平成27年12月26日)

東経130度15分54.87秒、北緯33度21分44.57秒に鎮座。

この神社は、長崎道・佐賀大和ICの北5.5km程の辺り、梅野の街外れに鎮座しております。

御祭神 

由緒
名尾川の清流をはさんで、松梅小学校と相対する所に古めかしいお宮があり、これが梅野神社である。このお宮の創立年代は不明であるが非常に古いことは周囲の神域とその風格が自から示している。
伝えられるところによれば、この辺一帯の地頭であった人が京都出身で、その氏神である梅宮神社(京都市右京区に現存)の分霊を祀ったのがその創立であるといわれる。松梅地区内では井手の天満宮と共に鎌倉時代の創立ではないかと思われる。江戸中期に火災にあい古記録共に焼失している。ただ社前の鳥居に刻まれている
「聖武天皇、皇后云々……其後嵯峨天皇橘嘉智無御子云々………仁明天皇云々……」の文字が読めるだけで、あとは風雨にさらされ磨滅して不明である。
橘嘉智子は橘清友の娘で仁明天皇の皇后である。皇后は子宝に恵まれず京都の梅宮神社に祈願したところ子供を授かったという伝説があるので、そのことを鳥居に記銘しているようである。ちなみに嵯峨天皇、仁明天皇は平安初期の天皇である。祭神は五十猛神の外三女神で、昔からお産の神様、酒造りの神様として氏子(上梅野1区、2区、井手原)はもとより、土地の人の信仰は厚く、特に安産を祈る婦人の参詣が多いという。
なお、松梅という名称は、松瀬村と梅野村の合併によりできたのであるが、その梅野の名はこのお宮が歴史的に考えても、梅野の地名を生んだのではないかとも言われている。
さがの歴史・文化お宝帳 より。

神社入口

神額

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正9年(1920)9月建立)

拝殿内部

本殿