道祖(さやのもと)神社

佐賀市道祖元町77 (平成30年12月27日)

東経130度17分11.03秒、北緯33度14分41.06秒に鎮座。

この神社は、JR長崎本線・佐賀駅の南西2km程の辺り、道祖元町の街中に鎮座しております。与賀神社の末社で、与賀神社参道のこの地に古くから鎮座されていたと伝えられています。 この社は、1964年(昭和39年)道祖神1400年祭を施行した古い歴史をもっているようです。

御祭神 猿田彦神

由緒
道祖は古代中国における旅行安全の神であり、これに相当する日本国有の信仰は「さえ(塞、斉、賽、幸)」の神である。
「さえ」とは「さえぎる」の意味で悪霊を入れないことがその神の主任務であると思われている。
わが国では道祖神(さやのかみ)を猿田彦神(天孫降臨の時道案内をした神)と同じだと解釈され、のち猿田=庚申(猿=申)を習合した信仰にも発展している。
昔は「さえのかみ」の前に市が立ったり、男女交歓の場として利用したことから転じて縁結びの神となり、それがもとで子授けの神、子供を守りそして家庭安全の神となったといわれている。
創立年代は不詳であるがこの地に古くから鎮座されていると伝えられる。「さやンかみさん」の愛称で近郷から日参する人々が絶えない。
元亀元年(1570)8月19日のよる、鍋島信生・(藩祖鍋島直茂)が今山に布陣した大友八郎親秀を夜襲した際、わず か17騎とともに夕方城を出てこの神社付近で本荘郷勝利(正里)集落の加勢を待ち鉄砲百余丁も加わり勢揃して出陣し大勝利を得たといわれる。
この戦いは「肥前分け目」の戦いとして、語りつがれている。
道祖元町(さやのもとまち)町名の由来は街並を戌亥の方に鎮座される道祖神社(通称さやんかみさん)にあるといわれている。
寛政元年(1789)の幕府巡見使への藩の報告「33ヶ町」の中の町名に記録されている。
鍋島藩の旧城下町の一つとして今も「さやンもとまち」の愛称で訪れる人が多い。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治37年(1904)7月吉日建立)

拝殿前の肥前狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿


鈴鹿森稲荷神社

境内片隅の先代様