宇佐神社

小城市三日月町道辺(平成23年11月3日)

東経130度14分10.28秒、北緯33度16分40.81秒に鎮座。

 この神社は祇園川の東、道辺公民分館北に鎮座しています。
 一の明神鳥居を潜ると参道は北に向かい、道路との間に神池があります。神池の中の島には末社の石祠等が祀られ、50m程北の境内入口には二の鳥居。明るく伸びやかな境内を貫く参道突き当たりには昭和7年生まれの岩狛に護られた唐破風付き入母屋造りの拝殿と、その奥の透かし塀内に本殿が建立されています。社殿にはそれぞれ出来の良い彫刻が施されています。
 案内板に「現在は静かな佇まいのもと、ここ道辺地区の人たちにより大切に守られている。」と書かれている通り、参道も境内も社殿も氏子さん、崇敬社達により、とても綺麗に整備清掃され、気持ちの良い参拝が出来る、素敵な神社です。

 御祭神:応神天皇、大山咋命、管原道真
 祭礼日:4月中旬
 境内社:辨財天、稲荷社、馬頭観世音、庚申尊天、太神宮等
 由緒:大同2年(802)7月、西海道観察使が九州巡視の際、甕調(みかつき)郷において病気になり、筑前宇美八幡宮へ病気平癒の祈願をしたところ、たちまちのうちに回復したので大柳に宇美八幡宮を勧請したのが最初といわれる。
 治承元年(1177)に、当時絶大な権力を奮っていた平清盛の打倒を謀った丹波少将藤原成経、判官平康頼、僧俊寛が鬼界ヶ島に流罪になった時、宇佐八幡宮へ帰れるようにと祈願したが、後の大赦により罪を許されたのは俊寛以外であったため、哀れに思った藤原成経ら二名は密かに俊寛を肥前国鹿瀬ノ庄法勝寺に移した。俊寛は、豊前国宇佐八幡宮が遠い場所にあることから治承3年(1179)正月に宇佐八幡宮の代わりとしてこの道辺に社殿を建立したと云われる。
 慶長8年(1603)8月に龍造寺隆信の内室宗ァ尼が再建、そして寛永14年(1637)初代小城藩主鍋島紀伊守元茂は、洪水の心配があったために現在の地へ移築した。寛文9年(1669)には二代藩主鍋島加賀守直能が修理し、元禄14年(1701)には三代藩主紀伊守元武が拝殿を改築、寛延3年(1750)六代藩主紀伊守直員、文化7年(1810)九代藩主紀伊守直堯と、小城鍋島藩歴代の藩主が修理や改築をおこなっていた。
 その後、明治6年(1873)4月には三日月村社に定められ、戦時下においては戦勝祈願などがおこなわれた。
 現在は静かな佇まいのもと、ここ道辺地区の人たちにより大切に守られている。

社頭
参道入口に建つ一の明神鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
参道左に広がる神池
神池中の島に祀られる石祠等
参道の様子
境内入口に建つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額「宇佐宮」
境内の様子
拝殿前、昭和7年生まれの岩狛さん
猪のような顔つきで、鍾馗様のような顔の脇の鬣が特徴的な狛犬です、
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和7年(1932)10月建立)
拝殿
拝殿向拝下彫刻・鶴
拝殿目貫彫刻・龍
拝殿木鼻・狛犬と獏
透かし塀と本殿
本殿木鼻・狛犬と象
辨財天、稲荷社等 馬頭観世音、庚申尊天、太神宮
大黒様
ご神木・大楠
ご神木・大楠