須賀神社

小城市小城町松尾3594(平成23年8月6日・平成23年11月3日再訪)

東経130度12分26.37秒、北緯33度17分57.9秒に鎮座。

 この神社は祇園川の北、嘗ては千葉氏の山城・千葉城(別名・牛頭城)が置かれていた小丘上に鎮座しています。
 祇園川に架かる朱の神橋を渡ると、昭和6年生まれの狛犬が護る入口につき、一の鳥居を潜り石の神橋を渡ると、左に禊ぎ場があり、右に展望台への入口があります。この入口付近に石祠の金毘羅社が鎮座し、可愛い肥前狛犬が護っています。
 神門を入り、急峻な山肌を登る153段の石段の途中に二の鳥居が建立され、やっとの思いで境内に上がると、此処にも文政4年生まれの岩狛さんがいて狛犬好きの私達は疲れを忘れてしまいました。
 遠方から見えていた唐破風付きの大きな拝殿は見事な天井絵があり、流造の本殿も華麗な姿を見せています。又、境内には宝貴の森稲荷大明神等の境内社も祀られています。
 眼下には初夏にゲンジボタルが飛び交う祇園川の流れや、小城の素敵な家並みが一望でき、元気な方には是非にもこの神社への参拝をお奨めします。

 御祭神:健速須佐之男大神、櫛稲田姫大神
 祭礼日:1月14日・お火たき神事(古札焼納祭)、1月15日・花柴祇園、7月第四日曜と前夜・山挽祇園(別名団扇祇園)、10月15日・柿祇園
 境内社:宝貴の森稲荷大明神、金毘羅社他
 由緒:当神社は桓武天皇延暦22年(803)の創建と言われ、当初は「清祠」と称し、肥前国佐賀・杵島・小城三郡の宗廟神社として栄えたと、古記にある。
 後に肥前国の地頭職であった千葉大隅守平胤貞は正和5年(1316)鎌倉幕府の命により、九州下向の際、京都祇園社 現在八坂神社の御分霊を勧請し、千葉氏の守護神として、代々の城主は懇ろに奉斎した。祭神は尚武・愛情・病災消除・農商工業の神として御神徳を有して居られ、古来より近郷近在の人々の深い信仰を集めている。
 明治3年(1870)社号を須賀神社と改め、大正13年(1924)には旧県社に列せられ、今日に及んでいる。…中略…。
 とりわけ、祭の圧巻は、鎌倉時代より延々と引き継がれた勇壮な山挽行事で、古色蒼然として、素朴な時代色を有し、現在もなお氏子・崇敬者の心を捉えている。



祇園川対岸より眺める神社遠景
入口鳥居前にいる昭和6年生まれの狛犬
阿は玉乗り、吽は構えの一対です。獅子頭の様な顔に牙が上下に4本ずつ。今にも動き出しそうな感じで、睨みを利かせています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・平川伊三 昭和6年(1931)7月吉日建立)
入口二立つ一の肥前鳥居 鳥居に掛かる額「須賀社」
神橋
禊ぎ場
石段右手の展望台への入口附近の様子
御神像 金毘羅社
金毘羅社を護る肥前狛犬
縦置きで、右の阿の方がやや大きめです。風化が激しく顔の表情は掴めません。お腹の下は軽く刳られ、前脚と後ろ脚の先が付いています。尾は太くお尻に付いています。
狛犬の拡大写真はこちらで
神門
石段の参道
石段途中に立つ二の肥前鳥居
二の鳥居上の石段参道
境内入口
境内入口にいる文政4年生まれの岩狛さん
厳つい顔に立った耳、踏みしめた足には筋肉の盛り上がりが見えます。躍動感溢れるバランスの良い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文政4年(1821)辛巳3月吉祥日建立)
拝殿
拝殿天井絵
石垣の上の本殿
石祠 石祠
宝貴の森稲荷大明神
境内から見下ろす小城の町並み
神社前を流れる祇園川の様子
祇園川で魚を狙う蒼鷺