熊野山大権現

小城市牛津町上砥川(平成23年8月7日)

東経130度10分52.13秒、北緯33度14分06.06秒に鎮座。

 この神社は砥川小学校の北西約400m、大きな二つの溜池の間の小丘上に鎮座しています。
 入口に立つ鳥居の左に市重要文化財に指定されている石造布袋像、右に肥前狛犬2体と、石仏群の覆い屋が建立されています。石段の参道を上がり詰めると、4体の石仏の前を通り、尚も切り通しのような細い坂道の参道を上がります。やや広い平地に出ると、正面奥に稲荷社石祠や石仏があり、左側から境内への参道が続きます。境内は中央に聳える大きな木が陰を造り、左手に石段、その上に大きな石祠の本殿が建立されています。石段左右には肥前狛犬が置かれ、社名の分からない石祠も祀られています。

 御祭神:熊野権現
 祭礼日:不明
 境内社:稲荷社他
 由緒:熊野山大権現は、寛永年間(1624〜1644)に後藤遊仙によって開山された。
 権現山一帯は当時多久家の領地であった。寛永14年(1637)の島原の乱のおり、乱鎮圧のために多久茂辰が出陣した際に、茂辰が遊仙に武運長久を祈願させ、権現山の中腹に熊野権現を勧請したのがはじまりである。
 遊仙は石蔵坊をなのり、愛宕神社、谷彦山権現を開いている。現在は、石祠、護摩堂、鳥居、石坂が残っている。護摩堂の前には元禄4年(1691)に平川与四右衛が製作した市重要文化財の石像布袋像がある。

 熊野山大権現は、寛永年間約350年前後に後藤遊仙によって開山し、寛永14年(1637)2月島原の乱時に、多久美作守茂辰の出陣の折、遊仙に武運を叶うよう心願をかけさせ、見事賊徒を退散することが出来た。
 茂辰帰陣後に社殿を建立したが、堂宇は壊滅して、石祠と護摩堂、鳥居、石坂が現存している。
 尚、護摩堂の前に元禄4年平川与四右衛門作 布袋和尚像があり、青年期の作として有名である。

社頭
入口に建つ肥後鳥居 鳥居に掛かる額「熊野大権現」

石像布袋像
石仏群
石柱の上に乗る肥前狛犬
鳥居右奥にいますが、顔付き、身体など、とても一対とは考えられない狛犬達です。
狛犬の拡大写真はこちらで
石段参道
石仏のある坂道の参道
参道左に置かれている石仏達
切り通しのような参道
切り通しを上がりきるとやや広い平地に出ます。
稲荷社石祠と石仏
境内へと続く参道
境内入口
境内の様子
石祠の本殿へと上がる石段
石段両脇にいる肥前狛犬
縦型の蹲踞の姿で、扁平な長方形の顔の厚み部分の殆どが鋸歯で表現されています。まん丸な眼、鬣は殆ど線書きに近く、尾はかなり太く作られています。
狛犬の拡大写真はこちらで
大きな石祠の本殿「熊野権現」
石祠