鏡神社

小城市小城町池上484(平成23年11月2日)

東経130度10分24.04秒、北緯33度16分20.45秒に鎮座。

 この神社は小城市の西端近く、鏡山(標高130m)の南麓の332号線に面して鎮座しています。
 入口には灯籠と鳥居が立ち、神門を潜ると清々しい境内中央奥に、趣在る肥前鳥居が建立され、その後ろに狛犬が乗った灯籠。蹲踞と構えの組み合わせの面白い狛犬が護る、唐破風付き入母屋造りの拝殿と、流造の本殿が建立されています。又、社殿左右には境内社や石碑等が点在しています。
 珍しい御祭神を祀る神社ですが、入口の雰囲気や神門、境内の佇まいなど何故か記憶に残る神社となりました。

 御祭神:藤原広嗣
 祭礼日:不明
 境内社:太神宮
 由緒:藤原広嗣をまつる。
 藤原広嗣は奈良時代中期の廷臣(役人)で、式家藤原宇合の長子(長男)である。母は石上麻呂(一説には蘇我石川麻呂)の娘。天平7年(737)に従五位下になる。天平10年に大宰少弐に左遷された。広嗣は左遷を不服として朝廷に上奏分を送るが、聖武天皇は広嗣召喚の勅をだした。
 天平12年広嗣は勅に従わず、弟の綱手とともに大宰府の手勢や隼人などを加えた一万余を率いて反乱を起こした。
 しかし、大野東人を大将軍とする追討軍に敗走し、最後は肥前国松浦郡で捕らえられ、同国畳崎で処刑された。これによって多くの式家関係者が処分を受け、奈良時代末期には一時的には政治の実権を握るものの後世における式家の不振を招く要因の一つになった。
 天平17年10月15日、勅使(天王からの使者)真吉備朝臣(吉備真備力)社殿二宇を建立、同19年12月(天王の命令)により神霊をまつる。
 天平勝宝6年(754)、大宰都督真吉備、奏聞を経て尊号を鏡尊廟と授けられ祭田数十町を賜ったが、豊臣氏の代に至り没収されたと伝えられる。

社頭
入口に立つ一の明神鳥居 鳥居に掛かる額
神門
境内の様子
境内に立つ二の肥前鳥居
拝殿前、狛犬を乗せた灯籠
岩狛と飛び狛の組み合わせで、直立と倒立の一対になっています。面白いですね。中々の作りです。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿前、享和2年生まれの蹲踞と構えの狛犬
鳥栖市や三養基郡では何対か見かけましたが、こちらに来てからは初めてです。滑らかな体躯に背中まで鬣が伸び、縦ロールは二段になっています。本当に北九州は変わった狛犬が多くて嬉しい限りです。将来的にはこちらに移住してしまうかも…?
狛犬の拡大写真はこちらで
(享和2年(1802)壬戌2月朔旦建立)
拝殿
拝殿内の様子
拝殿天井絵
本殿
耕地整理記念碑 大乗妙典一字一石宝塔
石碑 太神宮
円柱碑? 円柱碑?
境内社 御神庫?