日吉神社

小城市三日月町長神田高田(平成23年11月3日)

東経130度12分53.68秒、北緯33度16分56.68秒に鎮座。

 この神社は小城駅の東約600m、圓教寺北に鎮座しています。一の肥前鳥居が立つ参道の入口は圓教寺南にあり、ここから北に向かって約70m程の参道の間に自動車道が通り、三基の鳥居が建立されています。
 彩色が綺麗な随神さんが護る随神門を入ると境内で、真っ直ぐに伸びた参道奥、楠の大木に挟まれた形で、御神馬や明治12年生まれの岩狛に護られて、唐破風付き入母屋造りの赤い屋根の拝殿、一間社流造の本殿が建立されています。又境内には稲荷神社や石祠の末社が祀られています。
 長閑な田園風景の中に豊かな森と長い参道を持つ、由緒格式に相応しい佇まいを見せる素敵な神社でした。

 御祭神:大山咋命、上筒男命、中筒男命、底筒男命、三女神、管原道真
 祭礼日:不明
 境内社:稲荷神社他
 由緒:元亨2年(1322)千葉胤貞は後醍醐天皇より鎮西探題を任ぜられ、九州へ向かうことになった。無事に三日月郷皆良田(現三日月町高田)の地へ到着し社殿を造り、海陸守護・五穀豊穣・悪疫転徐の神として比叡山日吉神社の分霊を奉じた。完成した神殿、拝殿、楼門などは極めて美しかったと伝えられる。千葉氏代々崇敬の神社として十九町の領田を有し皆良田壱岐守、馬場下総守、並びに巫女を置いて奉納した。
 時代はかわり千葉胤頼の代になり、創建時の日吉神社はおよそ500年程前に千葉家内部の争乱によって焼失している。
 その後、天文17年(1548)龍造寺氏の領地となった時、隆信の息子政家が神社の廃絶を嘆き天正5年(1577)に再建したとされる。更に元和2年(1617)小城鍋島藩領となり寛文7年(1667)2月に二代藩主直能が社殿、神門を改築した。当時より領主をはじめ地域民に至るまで神社に対して崇敬が篤く社殿の造営、祭費については小城藩主が支辨していた。
 明治6年(1873)に三日月村社に定められ大正9年(1920)12月に郷杜へ昇格し、菅原道真と三女神の二柱を追加している。
 現在も高田地区の信仰は厚く、大切に管理され守られている。また、祭神の大山昨命は「山の神」とされており、その「使い」とされる「申」の年には12年に一度の大祭が昭和30年代まで盛大におこなわれていた。

神社遠景
参道入口
一の肥前鳥居 鳥居に掛かる額
参道の様子
二の明神鳥居
参道の様子
三の台輪鳥居
参道の様子
随神門
随神門内にいらっしゃる彩色が綺麗な随神さん
境内の様子
御神馬像
拝殿前、明治12年生まれの岩狛さん
同じ作者とは思いますが、阿吽の大きさがかなり違います。阿は口中に玉を含み、細面のスリムな体つきで身軽そう。吽は如何にも怪獣然としており重々しく威厳に溢れています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治12年(1879)己卯3月吉日建立)
唐破風付き、入母屋造りの赤い屋根の拝殿
唐破風下の彫刻・鶴
目貫彫刻・桃園の猿
木鼻・狛犬と獏
拝殿内の様子
一間社流造の本殿
境内社・稲荷神社
石祠三社 神使い・石製の猿像
ご神木・大楠
ご神木・大楠