石場神社

西松浦郡有田町泉山1-33-1 (平成29年4月6日)

東経129度54分40.49秒、北緯33度11分26.69秒に鎮座。

この神社は、JR佐世保線・上有田駅の北東700m程の辺り、白磁ヶ丘公園北川に鎮座しております。

御祭神 山神

由緒
泉山磁石場の山神を祀る石場神社の起源は明確ではありませんが、『肥前陶磁史考』(昭和11年刊)には「元石場各坑内に祀りありしを文久年間(1861〜1863)勤番所脇の丘山に合祀せるものゝ如し」というくだりがあります。しかし安政6年(1859)、慶応4年(1868)に描かれた有田郷の絵図の中にはその姿を見ることはできません。明治13年(1880)に陶山神社が改築された時「仮殿として石場神社に鎮座した」とありますので、この時点では社殿があったものと思われます。・・・・
境内由緒書き より。

参道入口

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和6年(1931)1月建立)

拝殿内部

本殿覆屋


高麗神

李参平像

李 参平(り さんぺい、生年不詳 - 明暦元年8月11日(1655年9月10日))は、 朝鮮出身の陶工で、有田焼(伊万里焼)の生みの親として知られている。日本名は金ヶ江 三兵衛(かながえ さんべえ)。現在も直系の子孫が作陶活動などを行い、14代まで続いている。
なお「李参平」の名は、当時「三兵衛」を「参平」と表記した史料があること、金ヶ江家に伝わる古文書に李氏と記載があったことなどから、明治19年になって地元の蘭学者谷口藍田が名づけたものであり、参平が朝鮮で暮らしていたころのほんとうの姓名はわからない。
ウィキペディア より