西乃宮八幡宮

三養基郡みやき町西島298(平成23年8月4日)

東経130度26分9.04秒、北緯33度17分39.23秒に鎮座。

 この神社は町役場三根庁舎の北東約300mに鎮座しています。
 参道の入口は264号線から100m程北に入った所にありますが、社殿までは更にそこから160m程あります。大きな鎮守の杜を見ながら、両側に選定された生け垣が続く参道を行くと、狛犬が護る境内の入口には、町重要文化財・寛文12年(1672)建立の肥前鳥居が立っています。
 鳥居を潜り、神橋を渡ると境内の入口には白壁に朱の柱の綺麗な神門が建ち、唐破風付き入母屋造りの拝殿・流造の本殿前には蹲踞と構えの組み合わせの狛犬が待っています。
 又境内には小字神社、祖霊社、高良玉垂神社等の境内社が点在しています。樹齢400年のご神木・大楠は見事な枝振りを見せています。

 御祭神:誉田別命、神功皇后、比売神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、2月28日・おかいさん、4月15日・春祭、6月30日・大祓、7月15日・祇園祭、9月12日・沖神事、10月20日・秋大祭御神輿、11月15日・七五三祭、11月28日・新穀感謝祭、12月31日・大祓
 境内社:小字神社、祖霊社、高良玉垂神社、太神宮、天満宮
 由緒:「八幡神社御由緒志」によると、人皇66代一条院の御宇長徳2年2月中の卯の日に御遷座さると言い伝え来つると記され、現在の2月28日おかいさんの祭典は往古卯日祭称へ古実の式例にも大祭として斎行され給う。
 人皇77代後白河上皇の御宇、京都吉田村に御鎮座し吉田八幡宮と奉称給いし八幡大神が保元3年京都大乱の節、社中四分五裂なりし中、西国の住大園隼人助と申す者に御神託告給う。隼人助肥前国佐嘉川上の都渡城に官柱太敷立て奉斉し給うが、その後文治年中の戦役により此の地に奉安置される。武門勢力の時代と共に武将の崇敬厚く寿永年間地頭職鎌倉権五郎景政により社殿が改造され、祭祀が再興されり。
 足利尊氏鎮西没落の砌り、当宮に日夕参詣し、戦勝祈願し尊氏の世になるや当宮に社領の御寄進あり御神幸祭礼等奉仕されるに至れり。
 而して太宰少弐資之及その一族の敬事せることは古文書や鳥居の銘文に見受けられる。
 その後肥前国が鍋島藩政になるや旧三根郡(三川、南茂安上峰、江口)の宗祀とし古式例祭に則り祭祀を行い、社費祭費一切の御神納を受ける。
 維新改革により明治6年郷社に列せられ、古より旧三根郡の宗社とし西の宮八幡宮の通称にて崇敬を受け来たれり。



参道入口と社号標「郷社八幡宮」
参道に立つ一の明神鳥居
参道の様子
社頭

町重要文化財・寛文12年(1672)建立の肥前鳥居
神橋
神門前、昭和10年生まれの筑後型狛犬
獅子頭の様な大柄な顔にライオンの身体を付けた…様な狛犬です。鬣や尾の筋がくっきりと彫られています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和10年(1935)秋新嘗月建立)
神門
境内の様子
拝殿前にいた小さな玉乗り狛犬 八幡神のお使い・鳩さん像
拝殿前、植え込みの影にいた狛犬
阿は蹲踞、吽は構えの組み合わせは、この地域でも偶に見かけます。類似の狛犬達が1800年前後に制作されており、この狛犬も、もしかしたら同程度の時期なのかも知れません。猿のような風貌と口蓋の波が面白いですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
目抜き彫刻・龍
本殿
境内社:小字神社 入口と石祠の本殿
小字神社を護る明治40年生まれの筑後型狛犬
全体にエネルギーに満ちあふれた感じですが、阿の「笑うセールスマン」の様な風貌が面白いです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治40年(1907)6月建立)
境内社:祖霊社 大園隼人助
末社 末社:高良玉垂神社
太神宮 末社
末社:天満宮 戦役記念忠魂碑
境内社:琴平社
社務所と社務所前水鉢上に居る瓦材狛犬
ご神木・樹齢400年の大楠