荒穂神社

三養基郡基山町宮浦2050(平成23年8月5日)

東経130度30分42.36秒、北緯33度25分46.45秒に鎮座。

 この神社は基山駅の北西約2.4km、300号線北に鎮座しています。
 300号線から見える一の鳥居からまっすぐ北に参道が付けられ、石段を上がると二の鳥居。注連柱を横に見て進むと境内で、左に舞台、右に神池が配されています。低めの石垣の上に狛犬が護る社殿が建立され、左右奥に境内社。神池の中の島に水神が祀られています。又、拝殿右手に伝説の石が3つ並んでいます。
 社伝によると、神社背後の御神体山・基山は瓊々杵尊が国見をした霊地であるといわれ、又、木の神・五十猛命が最初に木を植え始めた地域との伝承もあります。

 御祭神:瓊々杵尊、五十猛命、配祀:荒穂大明神、下鴨大神、八幡大神、宝満大神、春日大明神、住吉大明神
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、春祭・2月19日、斎祭・5月1日より7日間、夏祭・7月19日、茅の輪 人形流し・7月31日より3日間、神幸祭・9月23日(秋分の日)、月次祭・毎月19日
 境内社:水神他
 由緒:当社は「日本三代実録」貞観2年(860)の項に荒穂天神の名で神階昇叙の記事がみえ、延喜5年(927)撰進の「延喜式」神名帳に社名がみえる式内社(肥前国では4社)で由緒が古く格式の高い古社である。
 藩政時代は基肄郡上郷総社・明治6年郷社昭和3年県社・戦前は、基山村(町)の産土神社であった。
 祭神は古来諸説があるが民俗学上の原初は基肄山山頂の玉々石を盤座として農耕に恵みを与え、豊穣をもたらす、自然神・産霊神であると考えられる。貞享元年(1684)の「荒穂神社縁起」には、中央に荒穂大明神左一に下鴨大神、左二に八幡大神、右一に宝満大神、右二に春日大明神、右三に住吉大明神の六社としている。
 創建は同縁起に人皇第三十七代孝徳天皇の御代(645〜654)基肄国造物部金連の後裔金村臣によるとされている。社殿は最初基山山頂にあったが、戦国の兵火にかかって転々とし、当地に造営されたのは貞享2年である。現社殿(流れ造り)の拝殿は文政2年(1819)神殿・中殿は安政5年(1858)の改建になる。神課は12人であった。

300号線から見る参道入口
社号標
「懸社荒穂神社」
一の明神鳥居
参道の様子
社頭
石段参道
二の明神鳥居
境内入口に立つ注連柱
境内の様子
境内左に配された舞台
拝殿前、文政8年生まれの筑後型狛犬
大柄、筋肉質で力強く、前足は前後にずれ、尾は扇状になっています。この型は顔つきこそ違え、浪速狛犬との類似性が強いように思えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文政8年(1825)乙酉6月吉辰日建立)
拝殿
拝殿向拝下彫刻
木鼻・獏
流造の本殿
伝説の石
右 子宝石、中 荒穂の神と高良の神の投合された石、
左 荒穂の神の馬が基山の頂上より飛降りた石と伝えられ、
この謂れが斎祭の起りと伝えられています
末社 長戸辺神他
仏像・庚申などの石碑を安置した社殿
境内社:水神
ご神木・大楠
ご神木・大楠
神社背後の御神体山・基山