吉村天満宮

杵島郡白石町廿治3040 (令和3年11月30日)

東経130度07分28.80秒、北緯33度10分05.88秒に鎮座。

この神社は、JR長崎本線・肥前白石駅の南西300m程の辺り、に鎮座しております。

御祭神 

由緒
吉村地区は、今から1000年程前にすでに有明海の海退によって陸地化し、耕作がなされていたものと推定される。
居民は菅原道真公の学徳を慕って大宰府の宮に参詣し、国土安穏と五穀豊穣を祈ること数十年、その霊験に居民の信仰はいよいよ高まり、遂に吉村の地に小祠を建てて菅公を祀るに至った。
世は戦国の時代となり、当地域も戦やまず、天正2年(1574)大串太郎右衛門という者、竜造寺隆信の為に須古の平井経治と戦い、敗れ追われて一心に神を念じ、その危難をこの社の厨子に潜んで避けた。時に敵兵が追いかけて来て神殿の扉を蹴破り中を探すと、入口は蜘蛛の巣がはりめぐり、中から鳩が飛び出た。これを見て社殿を深く詮索せずに去ったため一命を助かったという。後、太郎右衛門はこれ神助であると感謝し、この天満宮の堂を再建し、以後は「大串」の姓を「吉村」にかえ、家紋の「鱗形剣菱」を「梅鉢」に改め住居辺田村(今の白石町錦江地区)の居屋敷に天満宮を勧請し守護神として祀った。・・・・・・
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

拝殿前の岩乗り狛犬。拡大写真はこちら。

(明治33年(1900)8月25日建立)

拝殿内部

本殿


石祠

石仏