福母(ふくも)八幡宮

杵島郡大町町福母 (平成29年4月7日) (令和3年11月27日再訪)

東経130度06分25.03秒、北緯33度12分42.12秒に鎮座。

この神社は、JR佐世保線・大町駅の北北西300m程の辺り、大町町福母の街中に鎮座しております。

御祭神 神功皇后・仲哀天皇・應神天皇・八千戈神・景行天皇・日本武尊・志久津彦命・ 武内宿祢・大山祇命・天照大神・市杵島姫命・海道神・素佐之男尊・菅原道真公・橘諸兄公・玉依姫命

由緒
昔、景行天皇御巡狩の御時、杵島山に勢力を持っていた土蜘蛛八十女を討伐し給い、大厳石の上に軍神八千戈の神を祭られた。里人は之を景行石と称して奉るようになった。(西暦88年頃-弥生時代)
その後、日本武尊杵島藤津御征服の時、熊襲の余賊が此の山に住んでいる八方山老棍、四方老棍と云う凶賊が皇命に従わず、里人を困らせている事が解り、武尊、之を滅し同じく軍神を祭られる。
仲哀天皇の御代になり余党の大鷹老棍、小鷹老棍と云う強賊が起こり、皇命に従わず里人に害を与えて困らせていたので神功皇后は之を亡しになり、景行天皇がお祭りになった大厳石の側に御剣一口を煉石の櫃に納めて天神地祇を祭りになる。後、里人は之を神功石と称えるようになる。

大宝3年(703) 行基僧正が此処に来、土蜘蛛八十女の怨霊を鎮め石崎明神を祀られる。
景雲元年(767)2月 鎮護神の太刀並に御腰掛石を石崎松原大明神、石崎大明神と称す。
貞観8年(866) 大村大安寺の住僧一如僧正が石崎に見えて国守上毛、野澤田の朝臣に願って神功皇后、仲哀天皇、應神天皇の三座を請願して始めて八幡宮と称えるようになる。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

三の鳥居

四の肥前鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正6年(1917)3月吉日建立)

本殿


社務所に保存されている肥前狛犬。拡大写真はこちら。

末社

石祠等

石仏

境内片隅の狛頭

御神木の楠