松山神社

鹿島市三河内317-ロ (平成30年12月26日)

東経130度04分20.45秒、北緯33度04分52.56秒に鎮座。

この神社は、JR長崎本線・肥前鹿島駅の南西4km程の辺り、三河内の街外れに鎮座しております。

御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照坐皇大御神・豊受大神・金比羅大権現・星神

由緒
第51代平城天皇の御代(大同元年(806)9月)紀州の熊野神社の御分霊を能美の庄木庭村の奇巖絶佳の地に勧請してこの地の氏神とされた。その後第70代後冷泉天皇の御代(天喜3年(1055))この地方の地頭「散佐大蔵朝臣永明」が神殿を建立して祭祀を行う。
当時は浮屠氏の勢力が強く、当地方はその管掌される所とされる。爾来幾多の盛衰を経て、文明9年(1478)千葉勢と大村勢との合戦により社殿は焼失した。元禄9年(1697)鹿島鍋島半第4代藩主鍋島直條公により再建された。以降藩主の尊崇厚く、毎年10月9日を例祭日と定めて祭祀行われ現在に至っている。
当神社は一般的に松山権現さんと称されて親しく尊崇されてきたが、権現さんとしょうされている神社は全国に多くあるが、これは奈良時代以降佛教が神様として現れて衆生を救済守護する、という考へがあって権現さんと称するようになった。これは、即ち「本地垂迹説」と云われている。・・・・・・・
境内由緒書き より。

一の鳥居

境内入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治27年(1894)甲午3月建立)

拝殿内部

本殿


境内片隅一体の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

石祠等