若宮神社

神埼市千代田町境原851-1(平成23年8月4日)

東経130度21分20.47秒、北緯33度15分38.81秒に鎮座。

 この神社は千代田西部小学校の北東約300mに鎮座しています。
 鎮守の杜を目印に、264号線から神橋を渡ると、神社入り口の神門前に肥前鳥居をはじめとして三基の鳥居が建立されています。石積みの太鼓橋を渡ると透かし塀と神門が建ち、広々とした境内左奥に唐破風付き入母屋造りの拝殿、弊殿と本殿、神饌殿が建立されています。拝殿には「正一位若宮大明神」の額が掛かり、往時の社名「正一位社」を思い起こさせます。又、境内右手には稲荷神社、本殿後方には沢山の末社が祀られていました。
 この社には肥前狛犬がいるとの情報を得ての参拝でしたが、この社の肥前はやや大きめで恥ずかしがり屋、蘇鉄の影に隠れてしまっていました。
 神社はとても落ち着いた、清々しさが漂う素敵な神社でした。又、季節的には、神社後方や駐車場脇などに上品な濃ピンクの古代蓮が咲き、夏の早朝に訪れるに相応しい神社かと思われます。

 御祭神:仁徳天皇、高経霊、忍穂耳尊、大己貴尊、厳島姫尊、祭神追祀:吉備大臣、豊玉姫尊、素盞鳴尊、建御名方命、管原道真、平将門
 祭礼日:不明
 境内社:吉備津大明神、稲荷神社他多数
 由緒:若宮神社は、肥前国神埼郡広滝山の一峰中野原、鷹取山の頂に鎮座し永禄4年(1561)11月太宰少弐藤原高経公の霊を合祀、神徳日に盛となってまいりました。
 永禄12年(1569)3月24日佐賀藩祖鍋島直茂公は神埼郡六丁牟田へ遷座されました。文禄元年(1592)豊臣秀吉公神馬を奉献され爾来、佐賀藩主代々より献馬絶えることなく続けられ、明治10年に其の例を廃せられました。
 文禄3年(1594)8月21日後陽成天皇神階正一位を授けられました。
 寛永18年(1641)4月24日現在の境原に遷座され神階を以て社号となし正一位社と称し、悪疫を祓い、牛馬農産業の守り神、住民の守護神として御神徳篤く、郷土の信仰厚く春秋の季節には牛馬を率い、社前に賽し御社頭殷賑を極めました。現在神崎町・千代田町の産土神、氏神様として、千餘戸の氏子の方々の厚い崇敬心と奉賛により祭祀が行われています。

神社遠景
社頭
一の肥前鳥居
二の台輪鳥居
三の台輪鳥居
神社入り口
神橋
神門
境内の様子
拝殿前に隠れるように佇む肥前狛犬
肥前狛犬としては大きめですが、吽は恥ずかしがり屋で、蘇鉄の影に隠れて出てきてくれません。面長の扁平顔で、阿に鋸歯が見えますが、目鼻立ちははっきりしません。お腹の繰りはなく、長い前足や扁平なお腹、腿などが浅い彫りでかろうじて判断できます。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
拝殿に掛かる額
「正一位若宮大明神」
本殿
神饌殿
境内社:稲荷神社
境内後方の末社群
境内右後方の末社群
境内社:吉備津大明神
忠魂碑 末社
ご神木・大クス
推定樹齢・300年、幹周・5.4m、枝張り・25m
ご神木・大クス
神社後方に咲く古代蓮