土器山八天(かわらけやまはちてん)神社

神埼市神崎町城原3672(平成23年8月6日)

東経130度21分50.47秒、北緯33度20分55.58秒に鎮座。

 この神社は神埼市街地や長崎道の北方、上古より山岳信仰の霊山であった土器山南東麓に鎮座しています。
 石畳の参道を行くと入口に台輪鳥居が立ち、斜め右奥に拝殿が建立されています。社殿はこの建物だけで本殿は見あたりませんが、それもその筈、背後に聳える土器山が御神体山の修験霊場が、明治期に神社に改められた経緯が有る神社のようです。
 境内右手に、八天山登山入口の案内があり、石段を上がると二の鳥居が立ち、正面には磐座らしき岩を保護する覆い屋が建立され、左に八天山山頂直下に鎮座する上宮への登山道が整備されています。今回、私達は上宮への参拝はできませんでしたが、八天山山頂へはおおよそ2時間30分位で登拝出来そうです。

 御祭神:火結神(軻遇突智神)
 祭礼日:祈年祭・1月4日、例祭・11月24日、中祭・1月24日、小祭・毎月4の日
 由緒:開山 行基菩薩 元正帝の御宇、養老5年(721)
 土器山(八天山)は、標高429m、上宮迄、14丁の登拝道の大部分は、風化した花崗岩の露頭を掘削したもので、かなり険しい。
 この山は、巨岩怪石が多く上古より山岳信仰の霊山で、山全体を御神体、上宮の巨石を磐境とし、附近一帯は聖なる禁足地であった。仏教公伝後、神仏習合により、中宮菩提寺が創建され、更に平安末期丹波国愛宕山より、火伏の神である軻遇突智神を勧請。以来、修験霊場として聞こえ「天狗の棲む山」と畏敬された。戦国期には、菊地氏、江上氏、神代氏、などの崇敬を集め、藩政時代は、宝光坊が一山を統べていたが、明治初頭の神仏分離、修験道廃止令に依り、神職に転向、現在の八天神社となった。参詣者は県内は勿論、県外にも多く、立願や祈祷のため、土器を上宮御神体岩の元に納める風習は有名である。又、当社の御神符は、驚風邪(おこり)に卓効ありと伝えられている。

社頭
神社入り口
入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額「八天神社」
境内と拝殿
拝殿に掛かる額 拝殿内の様子
八天山登山入口
八天山山頂直下に鎮座する上宮への登り口
登り口に立つ二の鳥居 鳥居に掛かる額「八天神社」
上宮への登山口付近の参道
磐座?
八天山山頂直下に鎮座する上宮への登山道
『自然と歴史の道ゾーン』案内板より
上宮の巨岩
上宮磐座
八天山