田手大神宮

神埼郡吉野ヶ里町田手(平成23年8月6日)

東経130度23分23.93秒、北緯33度18分55.8秒に鎮座。

 この神社は吉野ヶ里歴史公園の南約300m、田手川東岸に鎮座しています。
 入口に立つ台輪鳥居を潜り石段を上がると神門が建立され、境内へはグルッと右に曲がり入ります。すぐ左に社務所があり、隣に拝殿、奥に本殿が建立され、境内西側は田手川の土手で、ゆったりとした川の流れの向こうに、田手の町並みが見えていました。

 御祭神:撞賢木厳之御魂向津媛命、合祀神:応仁(神?)天皇、管原道真、仁徳天皇
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、春季大祭・4月16日、夏越大祭・7月26日、秋季大祭・10月16日
 由緒:当神社は、約1300年前、杉野隼人願い出ること33回にて、天智天皇筑紫に暫く皇居された時、清浄晴沙の地を選んで、この地に皇大神宮、撞賢木厳之御魂向津媛命(天照皇太神宮)を勧請し、荘厳な 一宇を建立された。
 その後、時代の変遷と共に、一時荒廃を招いた事もありますが、亀山天皇の文応元年に至り、第九代当主杉野十郎熙伝は神夢をさずかり、伊勢神宮より神璽、瑤鏡、宝剣の三種の神器賜り神社再興を果たした。
 天文の頃、疱瘡大流行の時、多くの人が悩んだときも、御神徳により平癒した者が多かったので疱神として霊威が諸国に伝わり、遠方より参詣する人が多く、神前市をなす程であった。
 その後明治42年大字田手内の天満宮、八幡宮、若宮社等六社を合祀し、応仁(神?)天皇、管原道真、仁徳天皇を祭神(追加)とし今日に至っている。…後略…。
 明治40年2月15日神饌幣帛料供進神社に指定される。

社頭
入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額「太神宮」
境内へと上がる石段参道と神門
境内の様子
拝殿
拝殿内の様子
神明造りの本殿
神社西を流れる田手川と田手の町並み