下石動(しもいしなり)天満宮

神埼郡吉野ヶ里町石動(平成23年8月6日)

東経130度24分29.22秒、北緯33度21分13.08秒に鎮座。

 この神社は長崎自動車道・東背振ICの北東約800mに鎮座しています。
 社地の前面には清冽な川が流れ、推定樹齢550年のご神木・大楠やその他の大樹が聳え立つ大きな鎮守の杜の中に踏みいるように、神社へは二基の神橋を渡って入ります。
 下の境内入口には寛文年間(1660年頃)造立の二の肥前鳥居が建立され、右手に鐘楼、左手に土俵と舞台が配されています。推定樹齢450年のご神木・大銀杏脇の石段を上がると上の境内で、寛政3年生まれの狛犬が護っていました。正面に唐破風付き入母屋造りの豪華な拝殿、奥に流造の本殿が建立されていますが、拝殿には精緻な彫刻が施され、又、天井には絵画が描かれ、壁には三十六歌仙の額が掲げられています。又、嬉しいことに本殿には素敵な石像狛犬もいました。
 境内右側には境内社や石仏堂が祀られています。
 ご神木の大楠や大銀杏、肥前鳥居、拝殿の精緻な彫刻や三十六歌仙の額、造りの良い狛犬などに、この社の歴史と崇敬の深さが物語られているようで、私も深い感銘を受けた神社です。

 御祭神:管原道真公
 祭礼日:8月25日、大祭:25年祭(4月)
 境内社:数社
 由緒:平安時代の後期、正暦4年(993)に管原道真公の末孫藤原良宿は、肥前の守に任ぜられて養父郡立石村(現鳥栖市麓区立石)に居を構え、その一族は代々立石氏を名のって東肥前の一帯で覇を競ったが、元亀3年(1572)道長公14代の末裔立石大蔵之助管原広玄は、時の豪雄龍造寺隆信と和を結びこれに従属して石動に領地を移し田地八十町余を賜った。
 ついで、広玄は自らの館の鬼門にあたる丸山の東面、風景絶佳の地に社殿を建立して、道長公自作のものという菅家伝来の彫像を奉祀して天満宮と称したが、この下石動天満神社の発祥である。
 その後、桃山期に入って、広玄四代の孫立石代右衛門管原玄連は、白石の藩祖鍋島山城守直弘の家臣となった後も、かってのゆかりの地石動村八十町歩を領分したので、荒廃した境内を補修し社殿を新に再建して、例年8月25日には祭典を執行、以来地域の由緒ある古社として人々の尊崇を集め今日に至ったものである。

社頭
神社入り口
一の神橋
社号標 入口に立つ一の台輪鳥居
二の神橋
寛文年間(1660年頃)造立の二の肥前鳥居
推定樹齢550年のご神木・大楠
鐘楼 土俵と舞台
推定樹齢450年のご神木・大銀杏
上の境内へと続く石段参道
上の境内入口にいる寛政3年生まれの狛犬
この地域で1800年前後の数十年の間だけにみられる、阿は蹲踞、吽は構えの一対と同系統の造りの狛犬です。阿吽共に縦長の蹲踞の姿で、阿は口中に玉を含んでいます。背筋を伸ばしやや上方をのんびりと見ている姿は守護獣と言うより、癒し系のペットの様に親しみと安らぎを感じさせてくれます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(寛政3年(1791)辛亥1月吉祥日建立)
境内の様子
唐破風付き入母屋造りの豪華な拝殿
唐破風下の豪華で精緻な彫刻類
唐破風下彫刻・翼竜
目貫彫刻・龍
目貫彫刻・組木を支える力士さん達
木鼻・狛犬と麒麟
手挟
天井絵
拝殿に掛かる三十六歌仙額
流造の本殿
本殿縁に居る建立年代不明の神殿狛犬
建立年代不明とは云っても、今まで見てきたこの組み合わせの狛犬は、鳥栖・三養基郡辺りだけで建立された1800年前後の数十年の間だけに見られる狛犬なので、この狛犬達もそのように考えて良いのではないでしょうか?縦置きなので阿吽の位置が反対で、やや後期の造りでしょうか、吽は持ち上げた手に玉を持つ珍しい姿で、全体的に洗練された感じがします。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社 石仏が纏められた御堂
石仏が纏められた御堂 境内社