神之原八幡宮

伊万里市二里町大里乙 (平成29年4月6日)

東経129度51分06.81秒、北緯33度15分41.35秒に鎮座。

この神社は、松浦鉄道西九州線・川東駅の西1.5km程の辺り、二里町大里乙の街外れに鎮座しております。

御祭神 国常立尊・応神天皇・天照大神・他14柱

由緒
旧有田郷の郷社であったが、現在は神社庁の管轄を離れている。祭神は国常立尊、応神天皇、天照大神を主神にほか14柱を合祀する。藩政時代は有田郷の宗廟として天気和順、五穀豊穣などが祈願された。社記によれば、当社は神功皇后三韓出兵のおり、玄海の風波を避けてこの地へ臨幸し天地地祇を祀って国家の安穏を祈られた遺跡という。
欽明天皇の御代、誉田別命(応神天皇)が「我は誉田の八幡丸なり」と神之原に神として出顕して奇瑞を現したので、神功皇后ゆかりのこの地に、八幡大神を中央に右に天神七代、左に地祇五代を祀ったのが社の始まりという。その後傍らの丘に仲哀天皇、神功皇后を別宮に奉祀し「年の宮」と称したと伝えられている。
南北朝の頃、菊池武重は松浦党と策応の必要上、しばしば当社に神助を祈願して、正平(1346〜1369)の頃負傷して身を忍ばせ菊池を憚って武重を姓として、当社の宮司となって再興を祈ったと社記に強調されている。12月初卯の前夜行われる「取り追うまつり」はこの地で再起をはかるため火中訓練をしたのがまつりの始まりという。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

参道

二の鳥居

境内入口

拝殿

拝殿前の岩乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(安政4年(1857)丁巳11月吉祥日建立)

拝殿内部

本殿


末社

境内より見る参道