太良嶽神社

藤津郡太良町多良8378(平成23年8月7日)

東経130度10分56.21秒、北緯33度1分10.36秒に鎮座。

 この神社は多良駅の南東約400m、旧字名が油津という有明海に面した地に鎮座しています。
 入口には大きな一の鳥居が建立され、左手に広がる広い境内の最奥、海に一番近い場所に手水舎、二の鳥居、神符授与所が並んで建立されています。二の鳥居を潜ると、昭和46年生まれのにこやかな狛犬が護る、コンクリート建築の唐破風付き入母屋造りの拝殿や弊殿、本殿が綺麗な彩色を見せて建立されています。本殿前には年代物の木製神殿狛犬が置かれ、目を引かれました。又、境内には慈母神像や忠魂碑が建立され、屋根付きの土俵が設えてあります。神社東の堤防から海を覗くと、『月の引力が見える町 太良町 』のキャッチフレーズに相応しく、地平線がやや球形に見えた様な気がした?とか…、単純な私…でした。

 御祭神:太良嶽神社・瓊々杵尊、五十猛命、大山祇神、元川上神社・豊玉姫尊、元荒穂神社・瓊々杵尊、靖国神・多良 糸岐 伊福地区諸英霊
 祭礼日:1月6日・お火焚き、9月第二土曜 日曜日・例祭(浮立)、御神幸祭
 境内社:慈母神、太良嶽神社上宮
 由緒:太良嶽神社の創建は第十代崇神天皇の御世と伝えられる。肥前風土記に拠れば第十二代景行天皇の御世に霊験高く、天皇は九州巡幸の折に参拝され御子日本武尊の熊襲平定に際しては神助を仰ぐために御山に参籠をして無事に大任を果たされしという。
 和銅2年、行基菩薩、金泉寺を建立してより紀州の熊野、豊前の英彦山と共に西国修験道場の一つとして、又、太良嶽大権現として殷賑を極めしも天正年間、兵火に罹りて灰燼に帰し天和2年、諫早藩主をして再興し国土安泰・五穀豊穣守護の直願所と定められてより再び隆昌を極め民謡「岳の新太郎さん」の物語りも此の頃のことなり。爾来幾度も修理を加えしも終に倒壊し大正12年、太良岳跡地に仮に石祠を建て、その後、本宮建立の議起こらず適地なきため実現に至らず。
当海岸埋立地が此処に造成されしを機に遷宮最適地として元氏神荒穂・川上の両社を合併し更に地区内出征者の英霊を配祀する太良嶽本宮を建設することに決す。時に昭和43年7月なり。その後会を重ね昭和45年起工。同年に完工その後内外装を調え46年3月25日遷宮を行い祀り給う。(「太良嶽神社の栞」より)

社頭
入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
境内の様子
境内に立つ二の明神鳥居
参道の様子
拝殿前、昭和46年生まれの狛犬
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(昭和46年(1971)11月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子
拝殿内にいる木製神殿狛犬
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本殿
慈母神像 忠魂碑
土俵
神社東に広がる有明海の様子