羽黒神社

佐渡市羽吉羽黒(平成19年4月28日)

 この神社は両津港の北西4km、羽黒山(五月雨山)の南西山麓に鎮座しています。京極為兼が歌に詠んだ羽黒修験の古い神社で、「心経門」とも呼ばれる一の鳥居から伸びる参道は、すぐに左側は鬱蒼とした竹林、右側は杉木立の中、96段の急な階段となり、頂きに建つ仁王門(二の鳥居)を潜ると今度は56段の下りとなります。丁度小丘を一つ越えた感じでしょうか。谷底には朱塗りの神橋が架かり、せせらぎが聞こえます。ここにはフェリーの佐渡島案内に写真が載っていた「エンレイソウ」が咲いていました。石段や石畳には苔が生え、杉の古木の中を歩いていると昼尚暗く冷気(霊気)を感じ、歴史の重みとちょっとしたハイキング気分になります。その後は階段途中に目にも鮮やかな朱の三の鳥居が建つきつい213段の階段があり、境内へと誘われます。境内入口には待望の大きく秀逸な佐渡狛犬がおり、杉林に囲まれた静かな境内奥には重厚な拝殿と大きな流造の本殿が建っています。壮大な神域と落ち着いた佇まいに歴史の深さと格式の高さ、地域の誇りを感じた神社でした。

 御祭神:倉稲魂命、大日霎尊、月読尊
 例祭日:6月15日(3年に一度の本祭りに、長い石段を下る神輿渡御と家内安全、五穀豊穣を祈る流鏑馬(県無形民俗文化財)の神事が奉納されます。)
 由緒:神護景雲4年(770)に出羽の羽黒神社から倉稲魂尊を勧請し、五月雨山(羽黒山)に祀ったのを創祀とし、保延元年(1135)に現在地に遷座されたと伝えられています。昔は沖合いを通る船は、帆を半ば降ろして敬意を表すほどの神社だったそうです。社殿は大正7年(1918)の大火で焼失し、同9年に再建されたものです。
 伝承では、御神体は出羽(山形県)の羽黒神社から、桐の木の船に乗って北五十里の洗足(せんぞく)岩にお着きになりましたが、波の荒い日本海をお渡りになるので、船体が破損し、アカ(船のなかにたまる水)が入ってきて困っておりました。この時、はるか前方に赤い一筋の道が開かれ鮑(あわび)があらわれ、水の浸水する場所にぴたりとくっつき、お陰で無事洗足岩に着け、お供の地神夜長の翁の案内で上陸され、ここで一夜を明かし、その後今の場所に移されたと伝わっています。その為羽黒の氏子たちは鮑を食さず、お船が桐の木であったので、桐の下駄をはかないことにしているそうです。

社号標「郷社 羽黒神社」 神社入口と一の両部鳥居(「心経門」)
参道の様子 階段上の
二の両部鳥居(仁王門)
二の両部鳥居から降った神橋 神橋が架かる沢筋の様子
神橋から再度登る階段の参道 階段途中の目にも鮮やかな
朱の三の鳥居
境内入口に居る嘉永9年(1856)生まれの佐渡狛犬。
大きく堂々とした体躯で、今回見てきた佐渡狛犬の中でも逸品だと思います。牡丹の彫られた台座には「金十両」と彫ってあり、極貧育ちの私達は、ついつい「この頃の十両って凄い大金よね。狛犬ってそんなに高かったのかしら? 社殿や境内の改築費用なんかも含めてなのかしら?」などと要らぬ心配をしてしまったのでした。
正面は顎髭の流れのせいで、ヘルメットを被っているように見えますが、横顔は少々奥眼で江戸狛犬にも共通した彫りの深い端正な狛犬で、身体の線も滑らかで良くできています。この狛犬を見て初めて気が付いたのですが、阿には尾がありません。落ちてしまったのでしょうが、その跡に縦に二つ四角い穴がありここに尾が付けられていたのでしょう。大きい狛犬はこうして寄せ木造りならぬ寄せ石造りをしていたんですね〜、勉強になります。
狛犬の拡大写真はこちらで
(嘉永元年(1848)6月吉日建立)
重厚な拝殿
大きな本殿
拝殿内の様子 境内社
境内の様子 未だ若木のボタン桜
参道途中に咲いていた「エンレイソウ」
ユリ科・エンレイソウ属で、低地〜山地の湿り気のある林内などに生える。
茎は直立し、高さは20〜40センチ。茎頂に長さ1〜2センチの花を1個つける。
花弁のように見えるのは外花被片(萼)で、種を落としてから花をつけるまでに15年前後もかかるといいます。
可愛いので撮した
名前の分からない花