熱串彦(あつくしひこ)神社

佐渡市長江854 (平成19年4月28日)

 この神社は両津港の南西約2kmの水田地帯に鎮座しています。国道350号線からの入口が解らず、大きな杜を目当てに裏へ廻って水田の畦道を行きましたが、軽車輌がやっと通れる道でした。帰りは表の道の方が良さそうだと鳥居を潜り国道350号線に向かいましたが、此方もやはり同じような状態で、狭い道になれていない方は車での参拝は無理でしょう。
 表参道から行くと黒々とした鎮守の杜の手前、水田の中に岡崎現代型の狛犬が立ち、穴に注意の看板がある神橋を渡ると、「縣社 熱串彦神社」の社号標と屋根付きの両部鳥居。「清々しい」の形容がピッタリの境内左には趣のある藁葺き屋根の能舞台が建ち、正面にはドッシリと落ち着きのある拝殿、その奥にやはり藁葺きの屋根だけが見える本殿が建っています。派手な装飾は何もない神社でしたが、旧縣社としての格式が感じられる落ち着いた神社でした。

 御祭神:阿都久志比古命(加茂氏の祖神) 配祀:金山彦命、大彦命
 例祭日:4月13日
 由緒:この社の歴史は古く、平安時代の「延喜式神名帳」に「阿都久志比古神社」と明記された、佐渡国の式内社九社の一つです。社伝によると、その創立は貞観年間(859〜877)にさかのぼり、当初は長江山の中腹に鎮座し、「水の尾明神」ともいわれていましたが、承久年間(1219〜21)に焼失し、現在地に再建されました。現存の社は正徳4年(1714)に建てられたものです。金山彦命はもと背後の霊峰・金北山に鎮座し「国里宮」と称しましたが、明治初年この社に配祀されました。(佐渡観光Navi参照)
 この社は夫の愛読書・故司馬遼太郎の「街道をゆく(昭和51年に来島)」シリーズでも紹介されており、「あつくしの神」の章で、社殿や能舞台の様子に触れていますが、その当時の風景が今も変わらず残されている…貴重な地域のようです。

神社遠景
入口の両部鳥居 社号標
「縣社 熱串彦神社」
向拝の無い拝殿
拝殿内の様子
屋根だけが見える本殿 境内に咲く桜
趣のある藁葺き屋根の能舞台