木崎神社

佐渡市小木町(平成19年4月29日)

 この神社は小木港に突き出た岬・城山の北、付け根に当たる地に鎮座しています。社号標と朱の大鳥居が建つ境内入口を入ると、正面に大きく荘厳な拝殿が建ち、如何にも漁港らしく、拝殿内には沢山の船絵馬が奉納されていました。以前は境内左側の城山に鎮座地があったようで参道左側の小高いところに木崎神社旧蹟地の碑が建てられていました。

 御祭神:木花開夜比売
 例祭日:8月28日・夜宮〜30日(大・小獅子舞、鬼太鼓、神輿渡御、山車など)
 由緒:一説には天平年間の創祀だと伝えられていますが、現在のように整備されたのは佐渡奉行大久保石見守長安が佐渡金山の繁栄と金輸送の安全を計って社殿を建立した時からのようで、慶長14年(1609)に創建された本殿の棟札が現存しています。現在の本殿は火災焼失後の再建で元禄8年(1695)7月24日奉中興の棟札があります。
 小木港の繁栄は慶長19年(1614)、大久保長安が佐渡代官となり、越後出雲崎に近い、天然の良港である小木港を渡海場と定めてからのようです。慶長・元和にかけては、相川金銀山が盛りとなり、人の往来と物資の陸揚げで小木港は賑わいを呈しました。 第10代佐渡奉行竹村九郎右衛門は相川・小木街道の道路整備及び港湾整備を行い、江戸への金銀輸送ルートが確立され、相川より運ばれた御上納金銀は、いったん渡海の日まで木崎神社(后神社)社殿に保管され、日和待ちの後、出雲崎へ渡海、江戸へと旅立ちました。 寛文12年(1672)には、河村瑞賢が西回り航路を開設し、寄港地八港の内に小木港を指定し、小木港は空前の繁栄を享受しました。(佐渡観光協会HP参照)
 現在この社の例祭日は8月28日〜30日ですが、江戸時代のはじめは旧9月29日でした。寛文12年(1672)に旧7月29日に改められましたが、例祭日の変更は、この時期が二百十日の厄日の頃で、その災難をさけて小木湊に寄港してくる西回わり回船の都合によるものらしく、祭りが盛大になったのはこのためだったようですが、現在は一か月遅れになりました。

神社入口 社号標
大きく荘厳な拝殿
拝殿内の様子
社額「正一位后大神宮」
拝殿挙鼻には三匹の狛犬が遊び、頭貫には双龍、木鼻は狛犬が彫られています。
拝殿内に架かる船絵馬
本殿覆い屋 境内社
木崎神社旧蹟地の碑