大膳(おおぜん)神社

佐渡市竹田561(平成19年4月29日)

 この神社は65号線から竹田地区に向かうと、村落手前右側に鎮座しています。この社に参拝した時間は午後6時に近くもう太陽は大分傾き、その柔らかな光を受け、様々な表情に変化する鎮守の杜や参道脇の木々達の佇まいに、とても感動したことを覚えています。境内は広く明るく、一面に芝生が植えられ、佐渡に現存する中では最も古いとも言われる能舞台の、茅葺屋根の古風な佇まいと妙にマッチしていました。能舞台には松と太陽が描かれ、綺麗に整えられており、如何にも現役…という感じがしました。今回はこの社に参拝する予定はなかったのですが、旅館に帰る道すがら、「未だ明るいから…。」と、参拝させて頂き、夫共々「ここに参拝させて頂いて良かったね〜。」と大感激でした。

 御祭神:左殿・日野資朝卿、正殿・御食津大神、右殿・大膳坊賢榮
 例祭日:4月18日(祭礼定例能)、6月第一日曜(佐渡薪能月間・大膳神社にて薪能)
 境内社・稲荷神社
 由緒:御食津大神は農業食饌の祖神、豊穣の守護神で、古来当地の産土神として尊崇されています。その勧請創始については諸説があり、一説には式内社当国九社の一つ「御食(みけ)神社」とも言われていますが詳らかではありません。
 正中の変の折日野資朝卿がこの地に配流され、一子阿新丸は父子対面を求めて遥々都から下向したにも拘らず、遂に許されぬ儘父は刑死しました。阿新丸はその無念をはらすべく城主本間山城守の館に潜入し、その弟三郎を斬って本懐を果しました。この間大膳坊賢榮は真の敵は鎌倉であると阿新丸を諭しましたが、その孝心に感動してこれを助け、無事帰京させました。
 山城守は激怒し大膳坊を処刑しましたが、その後大いに悔い畏れて、日野資朝卿と大膳坊を当社に合祀してその霊を崇め奉ったと伝えられています。(境内案内より)

参道入口には上部のない鳥居が建っています。 社号標「村社 大膳神社」
夕方でもあったので、参道は特に幽幻さが強く感じられました。 境内入口と朱の両部鳥居
芝生の広場の中の茅葺屋根の能舞台
佐渡に現存する能舞台では最も古いとも言われる能舞台で、県有形民俗文化に指定されており、幽玄な薪能が年に数回でここで催されています。
能舞台
松と太陽が描かれています。


向拝の無い大きな拝殿
拝殿内の様子

本殿覆い屋 境内社・稲荷神社
鎮守の杜の様子 境内から入口を振り返る