弓削神社

八尾市弓削町1-36 (平成24年1月8日)

東経135度37分4.54秒、北緯34度35分47.33秒に鎮座。

 この神社は志紀駅の南西約100mに鎮座しています。八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある弓削神社(河内大社)と西側の弓削町一丁目にあるこの社の二社一対で二座にあたり、両社とも式内大社でした。私達の持っている地図には東弓削・弓削神社の記載が無く行きそびれましたが、次回には参拝したいと思っています。
 玉垣の張り巡らされた中央に「式内弓削神社」社号標と注連柱、鳥居が建立され、境内右に宝物殿、御神楽殿、左に手水舎、社務所が配され、中央に狛犬が護る拝殿、白塀内に本殿が建立され、拝殿と本殿の間には二対の狛犬がおり、境内には数社の境内社が点在しています。又境内にはこの水を口にすれば長命すると言い伝えられている延命の水と言う冷泉があった様なのですが、残念な事に見落としてしまったようです。

 御祭神:宇麻志麻治命、饒速日命、天照大神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月14日・左義長とんど(とんど焼きは成人式前日の日曜日に行います。)、2月3日・節分の日・節分祭、2月17日・祈年祭祈年祭、4月午の日・稲荷祭、7月最終土日・夏祭(神輿渡御式)、10月8・9日・秋祭(例祭)、11月15日・七五三詣り、11月23日・新穀感謝祭
 境内社:天満宮、金刀比羅神社、猿田彦神社、稲荷神社、明治天皇遥拝所
 由緒:式内社で、祭神は物部氏の祖神である諌速日命、宇麻志麻治命をまつり、物部氏に属した弓削一族の本拠であった。
 孝謙天皇の信頼を得た弓削道鏡は、この地の出身で、由義宮に天皇の行幸を仰ぎ、同宮を「西京」とした。さらに道鏡は弓削一族の栄進をはかったが、天皇の没後は失脚し、下野国薬師寺別当として放遂された。
 古く、この境内には長寿を保つと伝える「延命水」という井戸がある。

 この神社は式内社で祭神はにぎはやひの命、その子うましまじの命、天照大神の三神をまつる。
 神代の昔、天孫にぎはやひの命は神武天皇御東征以前既に河内大和地方をおさめ後天皇に帰順され日本国の基をきづかれた功労者であった。その後子孫が物部の姓をたまいこの地方を中心に弓削部、矢作部、くつつくり部等の武器製造の部民とともに富強をきわめ守屋の頃には権勢を誇っていた。
 弓削道鏡は弓削部の一族で深く秘法を修め時の天皇の信任厚く太政大臣法王の位に達した。
 この神社は千二百余年前に創建されたと伝えられる。昔からこれらの部民が祖神を氏神としてあがめ今日に及んでいる。境内「延命水」は清く冷たく長寿延命の霊泉とされている。(境内「弓削神社由来」より)

弓削道鏡
 弓削の地は道鏡の出身地である。道鏡は「俗姓は弓削連河内人也」と続紀に記され、若くして葛城山に登り、如意輪法、宿曜秘宝を修め、看病禅師として名声を博し、孝謙天皇の病をなおし、信任をえて、ついには法王となった。
 しかし称徳天皇の死去とともに失脚、下野国薬師寺の別当におとされ、宝亀三年(772)に歿した。
 称徳天皇がこの地に行宮を造られるにあたり、信任の厚い道鏡は弓削宮(由義宮)の造営の許しを得た。

「弓削神社氏子会」公式サイトはこちら

社頭
神社入口
入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額
境内の様子
拝殿前、平成7年生まれの狛犬
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(平成7年(1995)10月吉日建立)
入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
白塀と本殿
拝殿と本殿の間にいる明治8年生まれのずんぐりとした狛犬
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(明治8年(1875)3月吉日建立)
拝殿と本殿の間にいる建立年代不明の狛犬
吽には角があり、この社の狛犬中では一番最古参なのではないかと思われます。全体的なバランスが良い優れた容姿の狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで

境内社:天満宮
境内社:金刀比羅神社
境内社:猿田彦神社 明治天皇遥拝所
境内社:稲荷神社
宝物殿 御神楽殿