三島鴨神社

高槻市三島江2-7-37(平成24年1月4日)

東経135度36分49.14秒、北緯34度47分59.02秒に鎮座。

 この神社は淀川右岸近くに鎮座しています。
 土手近くの水路端から西に向かうと参道の入口に鳥居型の提灯掛けと鳥居が立ち、玉垣沿いの右側(北側)に「式内 三島鴨神社」の社号標。「三島大明神」の額が掛かる大鳥居を潜り、緩い石段を上がると境内入口で茅の輪が設えてありました。参道正面には狛犬が護る拝殿と中門、透かし塀内に本殿が建立されています。又、社殿左右には大将軍社、厳島神社、竃神社、唐崎神社、八幡宮、国廣大明神等の境内社が点在し、いずれも狛犬が護っていたり、牛さんがいたりと賑やかです。
 この社は大山祇神社や三嶋大社の根源社として格別に崇められていたようですが、住宅地の中にありながら、由緒ある神社としての格というか、社殿や境内、社叢などの雰囲気が素晴らしく、氏子さんでなくとも自然と崇敬心が湧き起こる素晴らしい神社でした。

 御祭神:鴨事代主命、大山祇大神、此花咲耶姫大神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、1月15日・焚上祭、2月3日・節分祭、4月20日・春祭、9月・戦没者追悼平和祈念式、10月20・21日・唐崎神社秋祭り、10月第4土曜日・秋祭宵宮祭、10月第4日曜日 ・秋祭、11月1日〜30日・七五三詣、12月20日・御火焚祭、毎月1日 15日・月次祭
 境内社:大将軍社、厳島神社、竃神社、唐崎神社、柱本神社、八幡宮、国廣大明神(稲荷社、天神社)
 由緒:仁徳天皇は河内の茨田の堤をおつくりになるとともに、 淀川鎮守の神として、百済よりここ摂津の「御島」に、大山祇神をお迎えになりました。
 「御島」とは淀川の「みしまえ(三島江)」にある川中島のことで、このあたりは淀川でもっ とも神妙幽玄な景観をもっていました。
ここは古代の「玉川湖沼」(仮称)が淀川にながれこむ入江「玉江」(三島江の別称)にあ って、島は淀川本流に、玉川水路が出させた土砂が堆積したもので、玉川の土砂をもって、できたゆえに「御島」とあがめられたのです。
 当社はもとは、「御島(三島)の社」とあがめられ、淀川の鎮守であるとともに、農耕を守り王都難波を守護する神として、祈りつづけられてまいりました。
 豊臣秀吉が淀川右岸堤防を築いたとき、それまで川中島にあった当社を三島江村の中にお遷ししました。
 高槻藩主永井公は、淀川守護の任務を幕府からあたえらえていたので、格別の尽力により、社域をととのえ「三島鴨神社」と称することになりました。
 当社から、御魂がうつされて、伊豫(愛媛県大三島)の「大山祇神社」、伊豆(静岡県三島市)の「三嶋大社」がつくられ「日本三『三島』」として、崇拝されるようになり、三社の根源社として、当社は格別にあがめられました。
 後白河上皇に仕えた建春門院が、 当社に祈願して、高倉天皇を懐妊し、安産した結果、上皇の命によって平重盛が、京都東山区上馬町に、当社の御魂をお遷しして「三島神社」をつくりました。
(「三島鴨神社公式サイト」より)

 旧社格は郷社。嶋下郡(古代三島郡)の式内社論社。伊予、伊豆とともに三三島と呼ばれていた。日本で最初の三島神社(山祇神社)である。
  大山祇命
 大山祇神降臨の地で、『伊予国風土記逸文』には「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積の神、一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の国より渡り来まして、 津の国の御嶋に坐しき。御嶋と謂うは、津の国の御島の名なり。」とある。津の国御島とは摂津国三島(現高槻市三島江)のこと。
  事代主命
 『日本書紀』に「事代主神が、三島溝咋耳神の女ー玉櫛姫と結婚して生まれた子を名付けて、媛蹈鞴五十鈴媛命といい、容色すぐれた女子です。」とある。また、この地は三島県主の治めていた地で、『続日本紀』には三島県主が鴨宿禰の姓を賜ったとある。同市の弁天山古墳が鴨氏一族の墓と言われている。
 創建は不詳ながら延長5年(927年)に編纂された『延喜式』神名帳に記載されている古社である。三島神社の元社と伝えられており、この地は大山祇神降臨の地で、伊予(愛媛県)にある大山祇神社はこの地から移ったとされている。(推古天皇2年(594年)に、摂津国三島江から大三島瀬戸に移ったとされているので、これ以前の創建であるとされる。)
この神社はもとは淀川の中洲である川中島にあったとされるが、慶長3年(1598年)の淀川堤防修築の際に現在の地に移されたと言われている。
明治41年(1908年)に唐崎神社や天満社等周辺の神社を合祀した。高槻市赤大路町にある鴨神社がこの社の論社となる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

表参道入口
参道入口に立つ一の明神鳥居
参道の様子
社頭
神社入口に立つ二の明神鳥居
社号標「式内 三島鴨神社」 二の鳥居に掛かる額「三島大明神」
境内入口
境内に置かれている茅の輪
境内の様子
拝殿前、建立年代不明の狛犬
御影石の狛犬で、吽には頭上に小さな突起があり、穏やかな顔つきと滑らかな体表。体表の苔やザラザラ感、造りの丁寧さや技術力などから江戸時代の物では?と思われます。
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拝殿
中門と透かし塀
本殿 側面と正面

境内社:国廣大明神
宇賀御魂神(稲荷社)、菅原道真公(天神社)
国廣大明神の神使い・お狐様
境内社:竃神社・厳島神社・大将軍社
竃神社(奥津彦神 奥津比売神) 厳島神社(市杵島媛神)
大将軍社(武甕槌神)
境内社:八幡宮 拝殿と額
八幡宮を護る建立年代不明の狛犬
吽には角があり、瞳や目の周囲、口蓋などの彫り線が、くっきりと目立ちます。前後の脚に彫られた臑毛が草鞋の紐のように見え、八つ手のような派手な尾を持っています。
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八幡宮本殿
誉田別天皇(応神天皇)
明治41年(1908)10月大阪府の指導により、西面にあった八幡宮を三島鴨神社に遷し合併奉祭しました。
八幡宮本殿縁にいる神殿狛犬
阿は伏せ耳で、吽には大きな角が付き、立ち耳。ふっくらとした下膨れの顔に、ボリュウーム感のある体つきをした狛犬です。
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境内社:唐崎神社入口
唐崎神社を護る建立年代不明の狛犬
この狛犬も御影石製で、吽には小さな突起が付いています。この狛犬の特徴は首が無く底に鬣や顎髭がネックレスのようにまとわりついている、という所でしょうか。垂直に立つ前肢と水平に伸びる後肢、台座の低さなどから、比較的建立年代の古さを感じます。
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唐崎神社拝殿と額
唐崎神社本殿
大山祇神(三島鴨神社若宮)、天児屋根神(春日神社)、菅原道真公(天神社)
明治41年(1908)大阪府の指導により、唐崎にあった唐崎神社を三島鴨神社に遷し合併奉祭した。昭和50年10月21日の秋季例祭を期し、唐崎の神社跡に三島鴨神社の遥拝所として拝殿を落成。
神使い・牛 神使い・牛
表忠碑 神庫