高石神社

高石市高師浜4-1-15 (令和2年1月5日)

東経135度26分07.17秒、北緯34度31分27.81秒に鎮座。

この神社は、南海電鉄高師浜線・高師浜駅の北東隣に鎮座しております。

御祭神 少名彦名命・天照大神・熊野坐三社

由緒
創祀の歳月確かならず。或は云う、白雉元年なりと。(平成4年を隔る1350年前也)。
醍醐天皇延喜の御代、制式の小社に列し、堀河天皇の御代、寛治年間(平成4年を隔る900年前也)社殿の再建あり。国内神名帳に云う、従五位上高石大歳社、高石倉立社と見ゆ、今天神と称す。(式内考に載る)。
今の社殿は、寛永12年(平成4年を隔る350年前也)の再建なり。和泉名所図絵には、高志の祖、王仁を祀ると記せり。或は、往古境内に王仁を祀る一社ありしにやあらん。
昭和9年9月21日関西地方を襲える稀世の風水害に遭遇し、被害甚大、巨木倒壊し、社殿を損い、昭和10年10月12日改築復旧造営起工をなし、昭和11年5月15日竣工遷座祭を斎行す。
昔、逍遥院三條実隆高野参詣の途次、この社に立寄り、高師浜の松原の下、天神社の前に輿を立て、「袖の上に松吹く風やあだ浪の高師の浜の名をも立つらん」実隆(逍遥院高野紀行に云う)。
境内には、小倉百人一首、祐子内親王家紀伊の詠まれたる、「音に聞く高師の浜の仇浪はかけしや袖のぬれもこそすれ」の碑あり。高さ七尺、幅四尺の自然石にて苔蒸せり、従三位富小路貞直の筆なり。
老樟の下に石玉垣を周らしたる碑あり。白河法皇熊野権現御拝所と記せり、紀州熊野詣の途次ならん。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

二の鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

注連柱と磐座

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保4年(1833)癸巳8月吉日建立)

天水桶。力士の拡大写真はこちら。

本殿


石祠

高石稲荷大明神