泉南市岡田3-25-1 (令和2年1月6日)
東経135度16分59.11秒、北緯34度22分45.31秒に鎮座。
この神社は、南海電鉄南海本線・岡田浦駅の南東400m程の辺り、岡田の街中に鎮座しております。
御祭神 素戔嗚尊
由緒
里外神社は、素戔嗚尊を祀る。古い社名は呉服(クレハ)大明神と称せられた。創建は、古く仁徳天皇の代に古松杉うっ蒼と茂る森があり、ここに呉服大明神を産土神として社殿が創立された。日本書紀によれば人皇11代垂仁天皇の39年五十瓊敷命(イニシキノミコト)を菟砥(ウド)川上に置きて倭文部(シトリベ)を管理せしめられた。倭文部は、機織工にして、また菟砥川上とは信達の地であり、五十瓊敷命の墓は同地に在り、これまさに泉州機織の発祥の地であり当社はこの倭文織(シトリオリ)の守護神として尊崇されていた。中古に至り当社を去る西方約800m現在の氏の松のあたりに1本の老松あり、その根元より毎夜霊光を発し、東方に向かって当社境内に飛び行くのを見て、村人が根元を掘ったところ、一振りの霊剣を発見し、村人はその霊剣が必ず当社に深き由縁あるものと信じ、神社に奉献し霊剣を御神体として素戔嗚尊を御祭神として祀った。またその場所が岡田の里の外であったので社名を里外神社と改めた。
伝説にはその霊剣は垂仁天皇時代に作られたものと伝えられている。建仁元年(1201)10月、後鳥羽院が紀州熊野大権現に行幸のおり、信達荘の王子社厩戸(ウマヤド)の御所に御止宿された折、岡田鰈(カレイ)の有名なるをお聞きになられ、当社にお成りになされた。村人は無上の光栄として悦び神社境内の渕にに飼育した鰈を捕りて親しく献上したと伝えられ、この渕を王餘魚渕(カレイガフチ)と名づけ給われたことも明らかなことである。その後行幸の砌りには王餘魚渕で飼育した鰈の献上が例となったと伝えられている。
尚、本殿左右に合祀されているご祭神は、岡田神社の大年命(オオトシノミコト)・大浦神社(通称:岡田の戎さん)の蛭子命(ヒルコノミコト)の二柱である。大年命は五穀豊穣をつかさどる大神であり、蛭子命は商業鎮護交通航海の守護神であり岡田の戎さんとして近郷に古来から古い信仰がある。
由緒書き より。
神社入口
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
拝殿
拝殿内部
拝殿奥の神殿狛犬
本殿正面
本殿前の狛犬
本殿
末社
末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
石祠
石祠を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(天保2年(1831)建立)