(おの)神社

泉南市男里3-16-1 (令和2年1月6日)

東経135度15分37.56秒、北緯34度21分22.19秒に鎮座。

この神社は、南海電鉄南海本線・尾崎駅の東1.5km程の辺り、男里の街中に鎮座しております。

御祭神 彦五瀬命・神日本磐余彦命

由緒
元府社男神社は大阪府泉南市男里即ち古への呼唹郷の地である延喜式内神社で、本殿には彦五瀬命、神日本磐余彦命を祀り、相殿には天児屋根命、熊野速玉神を祀る。境内15000u(5000坪余)老樹鬱蒼として幽邃絶塵の神域をなしている。その北方1km余の処に摂社浜宮がある。本社の元宮で境内9000u(3000坪)松茂って海風に鳴っている。聖蹟雄水門は即ち此の地である。神武天皇御東遷の砌孔舎衛坂で長髄彦と激戦した。此時、皇兄彦五瀬命が賊の流矢に中って肱脛に瘡を負はせられ「吾は日神の御子として、日に向ひて戦ふこと良はず、故れ賤奴が痛手をなも負ひつる。今よりはも行き廻りて日を背負ひてこそ撃ちてめ」と仰せられた。 よって血沼の海即ち今の大阪湾を南進し紀伊に向わせられよとして、紀元前3年5月8日(太陽暦6月20日)此の地に着き給ふたが、彦五瀬の御瘡いよいよ重らせられた命は剣の柄を堅く握られ「慨哉大丈夫にして被傷於虜手、報いずして死なむや」と雄詰び給ふた。よって此地を雄水門といふ。即ち彦五瀬命雄詰の御遺蹟雄水門、今の浜宮の地に、命と神武天皇の御神霊を祀奉ったのが、当社で社伝によれば貞観元年3月今の地に御遷座し奉ったという。毎年10月11日の例祭には本社より聖蹟雄水門の地神輿渡御の儀が行はれる。明治7年7月畏き辺りより幣帛料を下賜せられ給ふた。
境内由緒書き より。

参道入口

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(文政6年(1823)癸未建立)

二の鳥居

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

拝殿内部

本殿


末社